プチ小説「希望のささやき7」

年始のお参りを終えた須藤は、何度か訪ねたことがある京阪出町柳駅の近くにある名曲喫茶を
訪ねてみることにした。
<東京の名曲喫茶はほとんど年始は営業していないのでどうかな。あっ、どうやら営業している
 ようだぞ。入ることにしよう。コーヒー代が1050円と高いが、本当にすばらしい音がする
 のでその価値は充分ある。他の人のリクエストを聴いて2、3時間本を読んでいれば元を取れた
 気もするし>
須藤は席に鞄を置くとリクエストのノートが置かれてある席に行き、ノートを見た。
<そうかここは営業時間を短縮しているが、年末年始も営業しているようだぞ。今からシューベルトの
 即興曲とピアノ・ソナタ第13番をヘブラーの演奏するようだ。次はボールドのワーグナー管弦楽
 曲集か。その次に駆けてもらえそうだから、そうだなー、明るい1年であってほしいから、モーツァルトの
 ピアノ協奏曲第21番にしよう。カサドシュのピアノ、セル指揮クリーヴランド管弦楽団の名演が
 店にあるようだから、これをノートに書いてっと。さあ自分のレコードが掛けられるまで、
 ソファでゆっくりしよう。注文が済んだら、居眠りしていてもいいや。でも口を開いたり、鼾を
 かいたりしないようにしないと。ホットをお願いします。これでよしと>
しばらくして店員がコーヒーを持って来たのを機に須藤はより深くソファーに沈み込んだ。
<丁度シューベルトが終わった。今度はワーグナーだな。このすばらしいオーディオ装置でワーグナーの
 重厚な音楽がどのように鳴るか楽しみだな。あっ、最初は「ワルキューレの騎行」だな。......。
 次は知らない曲だが、なんだか気持ちが良くなって来たので居眠りしよう>
須藤は自分がだんだん眠りに落ちて行きソファにより深く沈み込んで行くのがわかったが、それと
同時に疎らだった席が少しずつ埋まるのがオブラートをかぶせたような視界から見えた。

<どうやら途切れたからこれから私のリクエストがかかるな。少し起き直って眠らないようにしよう。
 あっ、かかった。やはり、この演奏はすばらしな。右前の壁際の席にいる女性は読書をやめて
 耳を澄ますようになった。クラシック音楽が好きなんだな。右手にいる男性は目を閉じて腕を組んで
 じっと聞き入っている。この演奏を気に入ってくれたのかな。次々に席が埋まって座るところが
 なくなったようだ。臨時の席で通路もいっぱいだ。あれっ、誰かが肩を揺すっている。何か言っているぞ>
「やぁ、やはりあなたでしたか。心地よく眠られていたので、声を掛けるべきか迷ったのですが...、
 お久しぶりです。カサドシュの演奏、すばらしいですね。須藤さんがリクエストされた、そうですか。
 じゃあ、今度はぼくのリクエスト、モーツァルトのクラリネット協奏曲を聴いて帰って下さい」
「君はほんとにクラリネットがすきだねぇ」