プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生76」

年が明けてすぐに、小川は神田の古書街に出掛けた。年末に「ニコラス・ニクルビー」を
原書で読んでいる外人に「ディケンズの小説は面白い」といった趣旨のことを言われたからだが、
未読の「ニコラス・ニクルビー」や「ドンビー父子」の和訳が出版されていないので、何か
この渇望を潤すものはないものかと思い、風光書房の店主に会って尋ねてみることにした。
「こんにちは」
「やあ、お久しぶりですね」
「さっそく、お尋ねしたいのですが...」
そう言って、小川は今までの経緯を話し、和訳がない著作は仕方がないとしてその代わりに何か
ディケンズの読み物はないかと訊いてみた。
「そうですね。以前からあなたが言われているように、今のところ、「ニコラス・ニクルビー」、
 「ドンビー父子」それから「ハードタイムズ」は和訳が出ていません(この小説は1998年頃を
 想定しています)。だから、あなたの望みを満たすためには、以前、あなたがされたように、既に
 読んでいる小説を別の翻訳家が訳されたものを読まれるかですね。違った視点で訳されているところ
 もあるし翻訳家の個性も出ているので、新たな発見をされるかもしれない。今、うちには、佐々木
 直次郎訳の「二都物語」と日高八郎訳の「大いなる遺産」があるので、興味があるのでしたら...」
「両方で3300円か...。じゃあ、どちらもいただきます」

その夜、小川は書斎で寝たが、眠りにつくとディケンズ先生が現れた。
「小川君、楽しい正月が過ごせてよかったね。秋子さんとの思い出の場所も訪ねられたことだし...」
「先生、今日は相談したいことがあるんです」
「なんだね」
「ぼくは先生の著作を読んできましたが、それを見習って小説を書けば...」
「いや、まだまだだよ」
「なぜですか」
「君は多分、魅力的な登場人物を登場させ、シチュエーションを設定し、面白い会話を登場人物に
 させれば、小説になると考えているのだろうが...。それだけで読むに値する小説となるかどうか...。
 物語に奥行きや重厚さを出すために、もう少し雑学を蓄えておいたらどうだろうか。
 語学や法律学などをいちから学ぶのは難しいにしても、入門書や解説書を読めば、ボキャブラリーや
 知識が身に付くだろう。それは決してむだなことではないと思うよ」
「まだ早いと...」
「ま、自分で書いて楽しむだけなら明日から始めたらいいじゃないか。小説を書くという作業は
 楽しいものだし、それが読者の心を豊かにするのなら、大きな社会貢献というものさ」