プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生77」

小川は出勤前にいつもの喫茶店で、最近購入した日高八郎訳の「大いなる遺産」を読んでいた。
「うーん、大学に入る前に、つまり浪人時代のことだが、一度読んだのだが、覚えていること
と言えば、大いなる遺産がピップに転がり込むというのではなく遺産相続の見込みができて
ピップは裕福な暮らしをするが、何らかの事情で相続ができなくなり元の田舎暮らしに戻って行く。
そこには懐かしいジョーがいて、暖かく迎えてくれる。エステラとの恋愛はうまくいかず、
ピップは理想の人との結婚ができなかったことに失望するというようなストーリーではなかった
かな。やっと第1部とその後少しを読み終えたが、ざっと流れを見てみると、牢獄船から脱走した脱獄囚に
ピップが教会の墓地で出くわし、やすりと兵糧を持って来るようにと命令されるところが最初の場面だ。
家に帰ると、家族つまりジョーと姉の登場となるが、この姉がピップに対して威圧的で冷淡でジョーと対照的に
描かれている。この姉が第15章で突然暴漢に襲われて、ピップに対して母親のように苦言を言えなくなった
ことは何か深い意味を込めているようにも思える。ジョーと姉は夫婦でピップはその子供ではないが年齢が
離れているため実際のところは親子のような関係と言える。躾が厳しく時には重荷を感じさせる姉と姉に対して
強いことを言えないが、やさしい何でも味方になってくれる父親のようなジョーとに育てられたピップが
いろんな人と出会って大人になって行く過程を描いた小説だったとも思うのだが、実際のところはどうなのだろう。
これから第2部ということで、遺産相続の見込みを得たピップがロンドンに赴くわけだが、
どのようなことが起るのか?実際、ここから終わりのところにかけてはほとんど覚えていない。
初めて読むような気がする。ピップの家庭教師となる、マシュー・ポケットとピップの親友となる
ハーバート・ポケットのことも全然覚えていないので、もしかしたら第2部の最後だけ読んで、
他のところは読み飛ばしたりしたんじゃなかったろうか。今は地の文や地味な会話も物語の展開を知る上で
必要と思ってじっくりと読むことができるが、若い頃の読書はかいつまんで要領よく読めばいいやと思って
いたので、大事なところを読まずに最後だけじっくり読んで満足していたんではないだろうか。だから
このようにして本を何度も読むことは、小説への理解度をより高めて行くために必要だと思う。
あっ、いけない。急いで会社に行かないと」
小川は伝票を握ると急いでレジへと向かった。

その夜、小川が書斎で寝ていると夢の中にディケンズ先生が現れた。
「「大いなる遺産」楽しんで読んでくれているかな」
「先生、どちらかというとこの小説は楽しい小説というものではなく、アイロニーに満ちた、渋柿を間違って
 食べてしまったような実感がする小説と言えるのではないでしょうか。エステラやハヴィシャムさんの
 描写なんか...」
「私は、むしろピップのロンドンでの生活に注目してほしい気がする。そうすればこの小説に対する考え方も
 変わって来ると思う。まあ、細かいことは小川君がこの小説を読み終えてから話すことにしよう」
「......」