プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生78」

小川は秋子から、久しぶりにヴィオロンに行きたいと言われたので、会社帰りに待ち合わせることにした。
ヴィオロンに着いて、約束の時間までしばらくあったので、「大いなる遺産」の続きを読むことにした。
<それにしてもディケンズ先生の主人公は、家庭訪問が好きだなあ。訪問した家庭では心のこもった温かい
 料理が振る舞われ、心地よい気分の中で登場人物が会話を交わす。第22章、第23章ではポケット一家
 との晩餐が、第25章ではジャガーズ弁護士(ピップの後見人)の事務所の書記であるウェミックの自宅
 ”城”での夕食が描かれているが、楽しい雰囲気に満ちている。「大いなる遺産」は1人称で書かれた
 小説で主人公の視点からの情景しか描かれないので閉塞的な感じがすることもあるが、その分一家団欒を
 描いたところでは自分が主人公になってテーブルの向こうの人と楽しい会話をしている気になれる。
 こういったところもディケンズ先生はよく考えていると思う。あっ、秋子さんがやって来た>
「お待たせしたかしら」
「大丈夫、少し本を読みたかったので早く来ただけさ。それよりなぜ...」
「ここに来てもらったのは、ここでまたライヴをしたいなと思ったからなの」
「もうあれから10年余りが経過するのだから...。そろそろしたいと思うのはわかるな」
「でも、今回は私は司会をさせてもらって、アユミさんの演奏をじっくりと聞いてもらおうと思うの」
「それはいい考えだね、アユミさんにはいろいろお世話になっているのだから、アユミさんに演奏の場を
 提供してあげるのもいいかもしれない」
「でも私もほんの少しだけクラリネットを吹かせていただく。子供たちにも私がクラリネットを演奏
 しているところを見せて、クラリネットという楽器に興味を持ってもらいたい気もするし...」
「それじゃあ、マスターに頼んでみよう。一緒に来て」

その夜、小川が書斎で「大いなる遺産」を読もうとしていると小川の2人の娘がやって来た。
「今、おかあさんに聞いたけれど、アユミ先生の演奏が聞けるのね。楽しみだわ。それにおかあさんの
 演奏も。私、この前、「サウンド・オブ・ミュージック」という映画を見ていて、「エーデルワイス」
 という曲が好きになったの。だからおかあさんに演奏してほしいな」
「私はちがうの。おかあさんが好きなカーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」を演奏して
 ほしいな」
「ははは、どちらも演奏してもらえるように、おとうさんからもおかあさんに頼んでおくよ。それじゃあ、
 おやすみ」
「おやすみなさーい」