プチ小説「たこちゃんの歌心」

ソング、カンシオーン、リートというのは歌のことだけど、歌うことについては涙なくしては
語れない、辛い経験がある。うぇーん。実は...。いや、やはりよそう。でも、言えばすっきりする
じゃないか。それもそうだな。じゃあ、話そう。ぼくは小さい時から歌謡曲やアニメの主題歌をよく
歌っていてそれなりに歌うことについては自信があったのだが、声変わりをしてからは歌う機会が
少なくなり音楽の授業で歌うくらいだった。中学1年生の時には音楽の授業で褒められたことがあり、
声変わりをした後でも十人並みに歌えるものと思っていた。ところが中学3年になって歌の試験が
あった時に打ちのめされてしまった。中学3年になって同じクラスになった女の子の中にかわいい子が
いて気になってたのだが、その歌の試験の時(それは音楽室で行われた)にその子はぼくの真ん前に
腰掛けたのだった。先生の伴奏に合わせて半ばまで歌ってふっと前を見るとその子がなんと両手で
耳を塞いでもう聞きたくないというような顔をしているではないか。ぼくは溢れ出る涙を拭うことも
忘れて、怪しげな歌詞でなんとか最後まで歌い終えたが...。それからというもの人前で歌えなくなって
しまった。とはいうものの高校に入ってからは、自宅で当時流行っていたフォークソングを大きな声で
歌っていた。家族は大迷惑だったと思うが、父親も、ぼくが小さい時に「浪曲子守唄」を母親に大きな
声で歌っていたので家族全体に免疫はできていたと思う。大学に入ってなぜかドイツリートに興味を
持ったぼくは、ベートーヴェンの「君を愛す」やシューベルトの「楽に寄す」、「君はわが憩い」、
「春の想い」なんかをドイツ語で歌っていたが、クラシック音楽のレコードを聴きながら勉強するのが
楽しくなったぼくは歌うことがなくなってしまったのだった。駅前で客待ちをしているスキンヘッドの
タクシー運転手はこの前ぼくのために「骨まで愛して」を歌ってくれたが、歌っている間、窓ガラスが
ビリビリと震えていた。鼓膜が破れそうだったが、歌はうまかった。今日は「浪曲子守唄」をリクエスト
してみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス アセムチョフリオ」「確かに最近寒い日が
続いていますね」「デセオケリェゲプロントラプリマヴェーラ」「そうですね春の暖かな日々が待ち遠しい
ですね」「そう思うやろ。でもこの寒さをあっちゃ行ってというてどっかにやるわけにいかへんから、
今日のところは大きな声で歌を歌って暖こうなろうと思うてんねんけど、お客さんはどう思わはります」
「そうだなー、曲によるけどね。「浪曲子守唄」なんてのはどうかな」「お客さんの気持ちはよう
わかるけど、ぼくは、「シエリト・リンド」を歌って陽気に行きたいんですわ。アイアイアイアイカンタ
イノヨレス ポルケカンタンドセアレグランってな感じで歌うてな」そう言って、他の客を乗せて
行ってしまった。ぶつぶつぶつ...。