プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生80」

祝日で会社が休みだったため、小川は本を読んでゆっくり過ごそうといつもの喫茶店にやって来た。
<今日は午後から、秋子さんがアユミさんの家に行って演奏会の打ち合わせをすることになって
 いるけれど、秋子さん、今回は私が司会をするのと言って張り切っていたなあ。そうなるとぼくが
 することがなくなるのだけれど...。でも、アユミさんには夫婦共々お世話になっているのだから、
 感謝の気持ちをぼくからも表明したい、そのためにはライヴで何かお役に立つようにしたいのだが...。
 前回のライヴではコーヒーに少しのブランデーが入っていたために、アユミさんは本能のままに
 行動してしまったのだったが、今回はコーヒーではなくココアにしてもらって、マスターに、
 「ミルクとブランデーのどちらがいいですか」とアユミさんに尋ねないようにしてもらおう。
 それにしても、「大いなる遺産」はやはり、浪人時代に読んだのは、第1部全部とピップがエステラに
 自分の気持ちを明らかにする第44章の一部とこの小説の終わりのところだけのようだ。昔読んだ時には
 読み飛ばしたためだと思うが、牢獄船から脱走して、ピップからやすりと兵糧をもらった脱獄囚プロヴィスが
 流刑地から脱走してロンドンに戻って来て、(ピップは金銭的に補助してくれているのがプロヴィスだとわかり)
 ピップはプロヴィスのために奔走していろいろ苦労するがそのことの記憶が残っていないし、ピップが放蕩
 息子のようにハーバート・ポケットとお金を浪費するところもこれまた全然記憶していない。それからピップが
 浪費を始めて独善的になった頃から、ジャガーズさん、ウェミック(ジャガーズさんの事務所の書記)だけでなく、
 エステラ、ハヴィシャムさんまでピップに対して冷たい態度を取るようになる。このあたりのことも知らなかった。
 まあ全部読み終えたら、ディケンズ先生がコメントして下さるそうだから、それを楽しみに待つことにしよう」

小川は、正午過ぎに自宅に戻った。玄関を入ると娘たちが小川に駆寄った。
「ねえ、おとうさん、わたしたちもおかあさんと司会をするのよ。さっきその練習をしていたんだけれど、
 おとうさんは何かお話をするのとおかあさんに訊いたら、さあ、それはその日にならないとわからないって言ったの。
 これ、どういうことなのか、わたしわかんないけど、おとうさんなら、わかる」
「わたしはちがうの。おかあさんにおとうさんは何をするのと訊いたら、なにもしないのよ。でもとっても大事な
 役割があるのよって言っていたわ。おとうさん、これなら、わかるわよね」
「そうだね、きっと、秋子さんは...。でも...、感謝したいのはこちらなんだが」