プチ小説「たこちゃんの臍茶」

ティー、テ、テーというのはお茶のことだけど、本当にお茶を臍で沸かす人に出会ったことはないが、
ぼく自身は臍で茶が沸かせるくらい爆笑するのは好もしいことと思っており、自分でお笑いのネタを
求めたりそんなテレビやラジオを見たり聞いたりしてきた。本からも笑いを得たいと思って小説を
読んだりするが、ユーモア小説と言われるものはブラックユーモアになりがちで苦みを伴うことが多い。
それでも井上ひさしの小説は金字塔であると思っており、今後も変わらないだろうと思っている。
西洋かぶれのぼくは大学生の頃にモリエールの笑劇(ファルス)にも挑戦したが、少し面白いと思った
くらいで爆笑することはなかったと記憶している(でもこれは偏に理解力の問題だと思っており近いうちに
もう一度読もうと思っているが)。でもよく考えてみると、ぼくの場合は笑いを得るのは活字よりむしろ
放送からの方が多かったようだ。幸いなことに、大阪と言う笑いの聖地(こういう言い方が正しいといえるのは、
昭和40年代くらいまでだろうが)に生まれたぼくは幼い頃からいとしこいしのしゃべくり漫才を子守唄代わりに
聞くことができた。また、岡八郎、山田スミ子、船場太郎の黄金トリオが味わい深い芸を次々に繰り出す吉本新喜劇も
爆笑の連続だった。その後笑いの王国を支えていた人が少しずついなくなり若い人の時代となったが、当時の
名人芸的な笑いを味わい尽くしてしまったぼくには今の笑いはそれほど面白いものではなく、たまに微笑をするだけに
なってしまった。むしろ昭和50年以降ぼくは深夜放送に笑いを求めることが多くなったが、深夜放送の笑いは色っぽい
ものが多く、それはそれで楽しいものなのだが、そればかりが矢鱈多くなって来てついにはついて行けなくなって
そこから逃げ出したのだった。映画では「モダン・タイムス」でチャップリンが歌う時になって歌詞を書いた紙
( カフス)をなくしてしまい、慌てるところで爆笑したくらいだ。映画は事前に浜村淳から情報を得ることが
多かったので、爆笑には至らなかったのかもしれない。駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は、
今までに大爆笑したことがあるのだろうか、そこにいるから聞いてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス
 ラアレグリーアアトラエラスエルテ」「そうですね、スペイン語では「笑う門には福来る」というのは「歓喜は幸運を
引き寄せる」と言うのですね」「そうやねんけど、きのうはうちで大爆笑させてもらったわ」「鼻田さんが大爆笑した
ところを見たかった気もしますが、どんなネタだったのですか」「ぼくの場合、日常生活の平凡なことから生じるネタが
好きやねんけど、うちのおふくろがきのう電話掛けて来てさりげなく言った言葉が面白かってん」「それはどんなのですか」
「おふくろが、「掃除機のホースを引き抜いてそのまま立とうとしたらビックリ腰になってしもたんで、今日はそっちには
よう行かへんわ」って言うたから、大爆笑してから、「それは、ぎっくり腰やろって言うたったんや。ちゃんちゃん」
と自分でオチをつけられてしまったのだった。ぶつぶつぶつ...。

※ 敬称は略しています。ご了承下さい。