プチ小説「たこちゃんの感覚」

センス、センティード、シンというのは感覚のことだけど、B級グルメでお酒を飲めないぼくは、味(味覚)、
臭い(嗅覚)が鈍感なので、高級珍味とスーパーで150円で安売りしている肴との区別がつかなかったり、
高級な線香や香水をかいでもクシャミばかりしているが、それとは反対に手の感覚(触覚)、鑑識力(視覚)、
音楽鑑賞力(聴覚)には自信がある。触覚は目を閉じてリンゴと梨を触ったら区別はつかないが、リンゴと
トマトなら瞬時に区別がつくし、視覚も高校の時から一眼レフカメラを使って来たから、ピント合わせには
自信がある。特に自信があるのは聴覚で、小さい頃からいろんな音楽を聴いて来たせいか、音楽の善し悪し
は一家言を持っているつもりだ。物心がついて小学校低学年までは両親がもっぱら演歌を聴いていたため、
昭和40年代前半の演歌の多くを今でも歌うことができる。小学校中高学年や中学生の時は音楽を余り聴かず、
他の趣味に没頭していたが、高校になってフォークソングにのめり込むようになった。ぼくの場合、今でも
コード(和音)のことがわからず、ギターやヴァイオリンは引けそうにない。その頃も友人から譲って
もらったギターをどうしても引くことができなかったために、歌詞を丸暗記することに力を注入すること
になった。そのため関西フォークの有名なものやかぐや姫、風の多くの曲は今でも歌詞を見ないで歌うことが
できる。大学受験に失敗して浪人生活に入り、フォークソングを歌いながら、世界史の用語を覚えたり、
英文を訳すことは至難の業と考えたぼくは迷わずクラシック音楽をBGMにして受験勉強をすることにした
のだった。そののち大学に入ってからも、社会人になってからもクラシック音楽は聴いているが、30才を前にして
頭髪が薄くなって来たぼくは白人ジャズメンの多くがチェット・ベイカーのように頭髪が豊かで前髪を垂らし
ているのを見て今からでも間に合うかもしれないと思い、ジャズを聴き始めたのだった。ジャズを聴き始めると
ボサノバ、サンバなどのラテンの楽曲にも興味を持ち始め、その流れに乗って、フォルクローレ、タンゴなどの
中南米の音楽も聴くようになったのだった。駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手はこのまえ
メキシコの歌「シエリト・リンド」を歌いかけたが、他の客を乗せてどこかに行ってしまった。今日はフルコーラスを
ねだってみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス メアレグロデヴェルレアウステ」「改まって
そう言われると少し照れますが、私もお会いできてうれしいですよ」「こんなふうによいしょするのはなぁ、
最近、お客はんが少のうなってしもうて、困っとるからなんや」「それじゃー、今日は、お客になりますから、
何曲か歌って下さい」「景気付けになるからそれもええけど、何歌うんや」「このまえ、少し歌われた
シエリト・リンドはどうですか」「ちょっと待ってや、えーと、それは300円やなー」「ち、ちょっと、
それは別料金になるのですか」「そうや、最近、ぼくが歌って踊れるタクシー運転手ということが知れ渡って、
一曲頼むわーと言う人が多なったから、こうでもせんと何曲でも歌わしよるねん」そう言っていたけど、
お金を払ってまではとぼくが言うと、その後目的地に着くまでは一言もしゃべらなかったのだった。
ぶつぶつぶつ...。