プチ小説「冬の終わりに」

旅の途中に高月は北海道で酪農業を営む、石井の牧場に寄ってみることにした。生憎、石井は家を
留守にしているということだったので、石井の妻で大学時代の同級生である、祥子と話をして帰ることにした。
「すみません、せっかく来ていただいたのに。きっと高月さんは、主人は余り外に出ない。いつも
 家にいると思われたのでしょうが...」
「いや、ぼくが迂闊だったんです。いつも思いつきで行動するもので、今回のこともアポなし訪問ではなく
 手紙で前もって訪問を伝えておくべきでした。ところでここに来たのは、このまえここを訪問した女性の男友達から
 おふたりが原始人のような生活をしていると聞いて興味を持ったからなのです」
「まあ、京都では私たちのことそのように言われているのですか」
「テレビをほとんど見ないし、情報社会を拒絶していると彼女は言っていたそうです」
「それは事実なんですけど、私が言いたかったのは...」
「多分、仕事を覚えるために、ほとんどテレビを見なかった。好きな石井のために、早く仕事を覚えたかったと」
「その通りですけど、すこし向きになっていたところもあったかもしれません」
「でも、ぼくからも訊きたいのですが、ここの暮らしはどうですか」
「石井さんと都会を離れて、田舎でのんびり暮らせると最初は思っていたのですが、石井さんの情熱が半端でない
 ことがわかってからは早くいろんなことを手伝えるようになろうと思ったの」
「でも、祥子さんも20年勤めた会社で管理職になっていたというのに...」
「高月さんはそのことがもったいないというのなら、夏に来た私がいた会社の同僚と同じ考えを持った人となるわ」
「お互いの議論は平行線を辿るだけなので、残りの時間はもっと楽しめる話題を話すことにしましょう。遠路はるばる
 ご苦労様でしたと言って夕食になるわけだ」
「そういうことになるわね。でも、高月さんは苦労しているって、大学時代の仲間から聞いているわ。だから私たちが
 なぜ都会の便利な暮らしを捨てて田舎暮らしをしているかを理解してくれると思っています」
「ところで石井について行こうと思ったのは、愛情からなのですか」
「もちろんそれも大事なことだけれど、人生って多くの偶然が重なり合ってできているんじゃないかしら、大学1年生の
 時に京都府立植物園でデートをしている時に、20年後にここで会おうと言って忽然と消息を絶った恋人、つまり石井さん
 のことだけれど、と20年ぶりに再会した時には本当に運命というものを感じたの。石井さんの野望に満ちた瞳を
 見た瞬間は少し後退りをしたけれど強い引力みたいなものに逃れられなくなったという感じ。もちろん大学時代に
 わずかな期間だったけど楽しい時間を過ごしたというのも心の底にあって。でも、結局のところは石井さんが強く
 私との交際を望んで、私がそれを受け入れたことかしら。だから一言で言うと、熱望または希求というのかしら」
「でも、石井は幸せものだな。一生祥子さんのような女性がそばにいてくれるのだから」
「高月さん、なにを人ごとのように言っているの。次はあなたの番ですよ」