プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生3」
小川は10月も半ばになるのにまだ就職先が決まらず、悩んでいた。
昨晩も、就職ガイドから何か情報を得ようと未明まで起きていた。
そのためか居心地のよい電車の隅に座ると1分もしないうちに眠って
しまった。
「ディケンズ先生、で...す...ね...」
「やあ、ひさしぶりだね」
「でも、ぼくは...」
「最近、私の本を読んでないってことかい。就職活動で忙しいって
ことくらいわかるさ。そう、今日、私は就職活動で悪戦苦闘している
君を励ましの来たんだよ。君が通学で利用するこの阪急電車の中で、
デイヴィッド・コパフィールド、大いなる遺産、二都物語、オリヴァー
・トゥイスト、クリスマス・キャロルなどの文庫本を読んでくれた
ことは知っているし、有難いことだと思っているよ」
「......」
「話は変わるが、デイヴィッドやオリヴァーがいかにして苦境を脱し
たか、その後の彼らの幸せな生活のことは知っているだろ。私の小説の
多くはただ面白いだけでない。善良に生きている人々に希望の光を
与えること、善良に生きることは難しいけれどそれがいかに大切かを
説くことを目的にしている。そんな小説をたくさん読んで、善人の鑑の
ようになった君のことを世間が放っておくと思うかい」
「ありがとうございます。なんだか、元気が出て来ました」
「つらい時にくじけちゃいけない。それは過ぎて行くものだから
知力や体力を貯え、羽ばたけるようになる日を待てばいいんだ。
わかったね」
小川が隣の乗客の(それは80才くらいの女性であったが)手を握って、
ありがとうございましたと言うと同時に、電車は西院駅にゆっくりと
滑り込んだ。