プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生84」

名曲喫茶ヴィオロンでの演奏会、といっても小川は演奏しないでもっぱら聴く側だが、を控えた前日の夜、
小川が帰宅すると秋子と二人の娘はアユミの家での練習を終えていて、自宅に戻っていた。玄関にやって来た
二人の娘は小川に話し掛けた。
「おとうさん、お帰りなさい。私たちの秘密の練習のために、お休みの日に会社でお仕事してくれてありがとう。
 おかげさまで、明日はおとうさんに喜んでもらえる演奏ができると思うわ。わたしたちも練習頑張ったけど、
 おかあさんとアユミ先生なんかもっとすごかったのよ」
「わたしは違うの。アユミ先生のごしゅじんなんか、もっともっともおーっとすごいのよ」
「ほう、とすると何か彼が前座でサーカスのような技を見せるのかな。でも、ヴィオロンの中でトランポリンを
 使うのはやめてほしいな」
「ふふふ、何の話をしているの。明日のことはおとうさんをびっくりさせるためにこれ以上話さないようにしましょ。
 そのためにおとうさんに内緒で練習して来たんだから。ただ、アユミさんのご主人を弁護しておくけれど、
 彼は音大で声楽をやっていて、そちらの技術は確かなのよ」
「あと、アユミさんがお酒を飲まないか気になるけれど、何か対策を立てておいた方がいいのかなぁ」
「名曲喫茶にアルコールは普通置かないと思うんだけれど、なぜかヴィオロンはコーヒーにブランデーを入れるか
 どうか尋ねるのよね。マスターにお願いして、ブランデーをアユミさんの目が届かないところに隠しておくとか
 できないものかしら」
「そうだね、明日みんなより先にヴィオロンに行って、マスターにお願いしてみるよ」

その夜、小川は仕事の残りを書斎で片付け布団を敷いて横になったが、眠りにつく前にしばらく明日のことを
考えていた。
<みんな頑張ったのだから、うまくいくといいな。特に娘たちは、人前で演奏するのは始めてなのだから、演奏する
 ことが楽しいことという印象を残せるようにできればいいな。そうすれば音楽に対しての興味も深まるだろうし。
 けれどそうなると、ぼくも何か楽器を勉強しないといけなくなるかも。でもぼくは音楽は中学までしか習っていない
 し...>
しばらくして小川が眠りにつくと、ディケンズ先生が現れた。
「小川君、明日の演奏会のことだが...」
「何かあるのですね」
「もちろん。アユミさんとその夫がいるのに何も起らないということが考えられるかね」
「おっしゃるとおりだと思います」