プチ小説「友人の下宿で32」
「みなさんお忙しい中お集まりいただき、 ありがとうございます。本日は高月さんがベートーヴェンの
音楽についてのお話をしてレコードも聴かせていただけるということなので、多少重複することもある
かとは思いますが、大目に見て我慢して聞いて下さい。それでは高月さん張り切ってどうぞ」
「的確なご指摘ありがとうございます。実際、これからお聞きいただくことは、今までに話したことと
重複するかもしれませんし、今回からは今まで掛けたレコードをもう一度お聴きいただくこともありますが、
新しいアプローチとして先入観なしでお聴きいただければ幸いです。それではお話を始めましょう。よく
クラシック音楽では、モーツァルトとベートーヴェンが比較され、モーツァルトは恵まれた環境で育った
ため深みのない感動を呼び起こさない音楽しかないという誤解が少しあるようですが、短調の曲や晩年の
音楽には苦悩や悲しみが感じられ、ベートーヴェンの代名詞である、「苦悩を突き抜けて歓喜に至る」
ような音楽もないわけではありません。モーツァルトの音楽が余りに美しいがため、苦悩が粉飾されて
前面に出て来ない恨みがあるように思います」
「あのう、ちょっといいですか」
「なんだい、安城」
「今日は、ベートーヴェンの音楽を聴くのではなかったのですか」
「そうだったのだが、うっかりして来週のモーツァルトのレコードを持って来てしまったので、どうしようかと
思いながら、話をしているんだ。まあもう少し我慢してくれ」
「わかりました。それでは引き続き張り切ってどうぞ」
「モーツァルトにしろ、シューベルトにしろ天才であるからと言って、苦悩を免除されたということなく
彼らも多くの苦悩をかかえて、それを文字ではなく音として多くの人を感動させるものにしました。というのが
ベートヴェンを含めた3人の天才が我々のために残してくれた大いなる遺産なのですから、我々は彼らの
音楽を大切にして折りに触れて聴いて、心を豊かにして行くべきだと思います。そこで今日は、モーツァルトの
曲を3曲聴いていただきます。弦楽五重奏曲第3番をバリリ四重奏団他で、ヴァイオリンとヴィオラのための
協奏交響曲をグリュミオー他の演奏で、ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」をホロヴィッツの演奏で
続けてお聴き下さい」
「百田どうだった」
「ぼくたちは、これからもよろしくお願いしますとしか言うことがないんじゃない」