プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生91」

秋子、深美、桃香、アユミ、その夫の演奏会があって2週間後の日曜日に小川は生姜煎餅を持って
アユミの家を訪れた。生憎、アユミは買い物に出掛けていたため、夫が呼び鈴を押すと顔をのぞかせた。
「小川さん、お待ちしていました。きっと、今日、生姜煎餅を持って家に来られると思っていましたよ」
「なぜそのようなことがわかるのですか」
「そうですね。演奏会が終わって次の日曜日は慰労会を兼ねて家族と出掛けるだろうから、多分その次の週に
 来られるだろう。小川さんのことだから、同じアパートに住んでいるとは言え手ぶらでは行きにくいと
 思われるだろう、だからアユミの好物の生姜煎餅を持って...」
「確かにそうなんですが、それを聞くとぼくの行動は誰にでも予想がついてしまうように思うのですが...」
「いいじゃないですか、家のように夫婦の互いが次にする行動の予想がつかないよりはずっとましですよ」
「仰ることがよくわからないので、もう少し説明して下さい」
「そうですね。例えば、私は仕事の後、外でトレーニングをしてそのまま帰って来るのですぐに自宅の風呂に
 入りたいのですが、家に帰るとアユミが入っていることがあります。そういう時にあなたならどうしますか」
「さあ、ぼくなら、新聞かテレビを見て、お風呂から出て来るのを待っていると思いますね」
「私はまたトレーニングの機会を与えられたと喜んで、もう一度ジムに戻って汗を流すのです」
「そうして帰って来ると、お風呂も食事も支度ができているというわけですね」
「誰が家に帰ると言いましたか。私はそういった場合には、ジムの閉店まで汗を流してジムのお風呂に入り、
 ファストフード店で食事を取って帰るのです」
「なぜですか」
「それはですね、アユミはいつも私が帰るまでは風呂に入らないので、私より先に風呂に入るのは体調が悪いか、
 明日用事があるので、早く眠らないといけないかだと考えてさっき言った通りのことをするのですよ」
「そうですか、それは思い遣りのある行動と言うか...」
「確かに、あなたの仰る通りですが、私の考えるようなケースは4回に1回くらいで、あとの3回は帰宅して
 玄関のドアを開けるとアユミが仁王立ちしていて、「あなたなにをしていたの。私がお風呂に入っているのを
 口実に、またジムでトレーニングをしていたんでしょう。このトレーニング・マニアめ」と行って、その場で
 踵落としをおみまいしてくれるんです。これがきくんですねー、じつに」
「ということは、あなたはたまたま帰った時にアユミさんが風呂に入っていたら、それを口実にジムに戻って
 トレーニングに耽り、愛情表現でもあるきつい一発を浴びせられるかもしれないという期待に胸をふくらませて
 玄関の呼び鈴を押すということですか」
「まっ、そういうことです。端的に言うと、なにかにかこつけてトレーニングをしたいということになりますかね」
「......」