プチ小説「たこちゃんの読書」

リーディング、レーゼン、レクトゥーラというのは読書のことだけれど、ぼくが小学生の頃、母親が本屋でパート勤務を
していたため、小学校の図書館に行くことは余りなく(そうは言っても、小学生向けのホームズやルパンはよく借りたが)、
母親がこれは子供に読ませなくてはと思って買った本をぱらぱらとめくることが多かった。それというのも、中学生
以上が対象の本を買って来ることが多かったからだ。また児童向けの偕成社の「少年少女世界の名作」から「三国志」
「ああ無情」「大いなる遺産」「二都物語」「最後の授業」などの本も買ってくれたが、最後まで読んだものはひとつも
なかった。それでもその本の最初の方に登場人物のプロフィールが肖像画(といってもモノクロのイラストだが)と共に
載っていての物語に興味を持たせてくれた。そのためそれから後もこれらの小説に対しての興味が持続し文庫本が読める
ようになるとそれらを読み始め文庫本で読了することができた。母親が買って来た本で一番興味を持ったのは、多湖輝著の
「頭の体操」でしばしば開いてはかじり読みをした。そのため長い文章を読むのがつらくなったりイラストが入っていない
と物足りなくなったりしたが、本というものの魅力を小学校3、4年の頃に植え付けてくれた点では良書だったと思っている。
ぼくは本を読むのが遅く、下手をするとハードカバーで2段になっている2ページを10分かかっても読めない時もある。
理解できなくて先に進めないこともあるが、ほとんどの場合は文章の中に出て来たある言葉にひっかかりあらぬ方向に
頭が行ってしまうからだ。わかりやすく言うと、登場人物が集まって食事をするシーンが出て来ると今晩は何を食べようか
などと思って2、3分読書が中断し「そうだ今日はやきそばにしよう」と決まってから、読書に戻って行くということが
しばしばあるんだ。また電車の中で読書をすることが多いので、車内にいる美人や車窓からの景色に見入ってしまって
どこまで読んだかわからなくなり、またそのページのはじめから読み始めるといったこともしばしばある。活字を読んで
それを頭の中で組み立てる作業というのは目で見てそれを脳に送るだけの作業とは大違いで脳味噌を酷使するが、本の内容が
楽しければそんな苦労はなんでもない。ただ楽しい時間が過ごせたという余韻が残るだけなので、よい本を読了したあとぼくは
感謝の気持ちで一杯になる。駅前でいつも客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は今日はどこにいるのだろうか。
タクシーが2台並んでいて後のタクシーに人がいないと思ったら、前のタクシーの後部座席で居眠りをしているぞ。
窓ガラスを軽くたたいてみよう。どうやら気が付いたようだ。「オウ ブエノスディアス エルイヨソモスアミーゴス
デスデアセディエスアニョス」「そうですかこの方と10年来の友人なんですか」「そう同じタクシー会社やから友人で
やって行けるんや。そやから暇な時にはこういうふうに居眠りしたり、新聞を読ませてもろうたりしてる」「そうだったん
ですね。ところで鼻田さんは本を読んだりはしないんですか」「馬鹿にせんといて、ぼくはこう見えても年間ハードカバーを
100冊は読むねんで」「どんな本なんですか」「娘が小さい頃によく一緒に絵本を読んだんやけど、今でも興味があって
休日に市立図書館の児童書のコーナーに行って、絵本を読むんや。けっこうおもろいで、あんたも一緒にどうや。ちゃんちゃん」
と言ってすぐに別の客を乗せて行ってしまった。ぶつぶつぶつ...。