プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生98」
小川が、自宅に帰りチャイムを鳴らすと秋子が出て来た。
「あら、早かったわね。ヴィオロンでなにかあったの」
「なんで、君がそのことを知っているの」
「そうね。1時間程前にアパートの前でアユミさんとご主人にお会いしたの。久しぶりにふたりでヴィオロンに
行くところだって言っていたし、小川さんも図書館からの帰りにヴィオロンに寄るって言っていたし」
「なるほどそうか。実は...、ふたりにえらいことを言ってしまったんだ」
「なにかしら」
「話は図書館で相川さんという男性にお会いしたところまで遡るんだけど、その相川さんから小説についてのレクチャーを
受けたぼくは、小説を書くのは、誰でもできる、お茶の子さいさいのことだと思ってしまったんだ」
「ふふふ、それで、アユミさんから励まされて、小説を書くことにしたのね」
「まっ、そうとも言えるかな。とにかく休日好きなことをして過ごすだけでなく、なにか家族のために家計の助け
になることをしたらと言われたんで、50才になるまでに小説家になると言っちゃったんだ」
「でも、小川さんは、今38才だから、まだ10年以上あるし、やればできるんじゃない。私もクラリネットを
習い始めた時はいつになれば人に聴いてもらえるような音楽を奏でられるようになるかと思ったんだけれど、
まじめに数年続けていると「いい音が出ているよ」なんて言われて。そうなると頑張れると言うか。だから、
小川さんも最初から出版社に原稿を送ることは考えないで、その相川さんのレクチャーを聞いたり、ディケンズ
先生のアドヴァイスを実行して、読者が興味を持つような小説とはなにかを考えて行けばいいと思うわ」
「とりあえずは、相川さんのレクチャーを参考にしたいと思うんだ。そうして創作意欲がわいて来たら、
突然、「これ書いたから読んで」と秋子さんに言うかもしれないから、その時は...」
「もちろん、私は小川さんが書いた小説は自分の生活を反映したもの、というのも小川さんは創作した話を膨らませる
なんて器用なことができるとは思わないから、しか書けないと思うから、きっと楽しく読ませてもらえると思うわ」
その夜、小川は書斎で眠ったが、眠りにつくと夢の中にディケンズ先生が現れた。
「やっと私の出番だ、陽気に行きましょう。小川君、君もついに決心したんだね」
「なんのことですか」
「小説家になるんだろう」
「まさか。あれは、アユミさんが爆発しそうだったので...」
「そんなことを言ってもだめだよ。さっき秋子さんに自分の小説を書いたら、読んでくれと言ったじゃないか」
「そうなんですけど、小説家でやっていけるほど世の中甘くないと思っています。プロになれば永続的に完成度の高い
作品を書き続けねばなりませんし、自分の中に滾々と湧き出る泉を持っているとは思いませんから」
「そうかな、湧き出る泉はなにもないところに発生するわけではない。土壌を築いておけばやがて時が経過するにつれて
泉はそれこそ思わぬところで湧き出たりするんだよ。それに時間があるから、慌てなくていいんだよ」