プチ小説「たこちゃんの歓喜」

ディライト、フロイデ、アレグリーアというのは歓喜のことだけれど、愛の悲しみしか体験したことがないぼくにとっては、
長い浪人生活の末に某大学の法学部に合格したことが、長い人生で唯一の歓喜の瞬間ではなかったのだろうか。諸般の事情で
三浪目に有名予備校に入ったぼくは遮二無二勉強したおかげで、関西の有名私大の法学部に入れるレベルにまで学力を上げる
ことができた。しかしながら、いつまでたっても合格できず最後の発表でも自分の受験番号を見つけることができなかった。
家に帰って明日からどうしようと考えていたところ、外出から帰って来た妹がポストに入っていた、合格発表を見に行くことが
できなかった某大学法学部からの速達を差し出してくれたんだった。震える手で開封するとその中には合格通知などが
入っており、ぼくは思わず、やったぞー、と両手を突き上げて、母親と妹に抱きついたものだった。そうした歓喜の余韻は
持続するもので、大学に入ってクラス分けがあり、プロゼミ担当教授と始めて話をした時にも自信満々で、弁護士になる
にはどうしたらいいですか。法学部の教授になれば資格取得できると聞きましたが、本当ですかと何も考えないで
尋ねてしまったのだった。つまらないことを言ってしまったためか、その教授はプロゼミではAをくれたが、専門科目では
Cで不合格だった。2回生の頃から、法律学の難しさを感じ始めていたぼくは以前から興味を持っていたイギリス文学に
のめり込み始めた、といっても原文でイギリス文学を読むようなことは全くなく、人よりたくさんイギリス文学を読んだ
程度にとどまる。そうは言っても、ディケンズ、モーム、ジョイス、G・エリオット、オースティン、スイフト、フィール
ディング、スターンなどの作家の主要作品は理解度が低いながらも読むことができた。また第2外国語でドイツ語を随意科目
でスペイン語を履修したぼくはそれぞれの代表作家として、ヘッセとセルバンテスの作品もいくつか読んだ(といっても
セルバンテスは「ドン・キホーテ」に尽きるのだが)。大学時代は多くの友人ができ充実したものであったし喜びの瞬間も
多く、あの頃を思い起こすとそんな楽しかった瞬間が連なって走馬灯のごとくに頭の中を駆け巡るが、歓喜の瞬間というのは
なかった。今後、そのような瞬間が訪れることはない気もするが、地道な努力を続けていればそういうこともあるかもしれないと
楽観的にも考えている。駅前でいつも客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は歓喜したことがあるのだろうか。
そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス アイタントケアセール」「どうされたんですか。
いつも冷静な鼻田さんが慌てておられるのは何か...」「わかるか。実はな、やらなあかんことがたくさんできて、どれから
やったらええか迷っとるんや」「どんなことなんですか」「実は、わしの声がええというのが知れ渡って、年末に第九を
一緒に歌えへんかとお客さんに言われたんや」「それでなんで忙しくなるのですか」「なんでかゆうたら、わしは唄は
うまいけど、楽譜はまったく読めん。それに原語のドイツ語で歌うって言うから、ドイツ語の勉強もせんといかん。
そういうこっちゃから、わし、とつぜん、尻に火がついてしもうたんや。あつー、あつー、そう言う感じやね」
「ぼくが少しお役に立てれそうなのですが、お話を聞いてくれますか」「なんでもするでー、悪いことやなかったら」
「そうですか、それではぼくが第九の最終楽章を録音したテープと楽譜にカタカナでルビを振ったものを持って来ますので
 最初の練習の日までに何度もテープを聞いて丸暗記して下さい。そうすれば練習で特にしんどい思いはせずに済むと思います」
「あんた、頭ええな。そや、そうゆう方法があったんや。ほんなら、さっそく始めたいから、明日持って来て。頼むで」
「えーっ、明日は日曜日ですよ」「ええやないか、きみとぼくはあつーて、かとうて、エバーグリーンな友情で結ばれて
いるんやから」「そうですよね、ぼくは特に日曜日にすることがあるわけではないんですから」と自分でオチをつけてしまった
のだった。ぶつぶつぶつ...。