プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生104」

「お目覚めですね。やはり、ここにおられると思いました」
小川が声を聞いて顔を上げると、相川が微笑んだ。
「やあ、相川さんじゃないですか。それにしてもわざわざ私がいつも利用している喫茶店に来ていただける
 とは思いませんでしたよ。名曲喫茶やジャズ喫茶なら付加価値もありますけれど」
「まあ、そうですよね。でも、小川さんはそこでいくつものディケンズの作品を読まれているのですから、
 きっと居心地がいいのだろうと思い、どんなところか訪ねてみたくなったのですよ。名曲喫茶のヴィオロンや
 ライオンは読書好きの人がたくさん訪れており私もその一人なんですが、特に珈琲がおいしいとか名曲が
 絶えず流れているということもないのに、小川さんが長年通い詰めるという喫茶店に興味がありました。
 たしかにここは居心地がいいですね」
「それとぼくは個人的にあのおじさんが好きで、いつも入って来てくれないかなと楽しみにしているんですよ」
入口の扉を開けて、スキンヘッドのタクシー運転手が入って来た。
「おひまなーら来てよねー わたしさびしいのーっと。ちょっとトイレ借りるで。これがほんまのたこの休憩や」

相川が頼んだミルクティーがテーブルに置かれると、小川は相川に話した。
「もうすぐ「二都物語」の中巻を読み終えるんですよ」
「えっ、「二都物語」は2巻ものじゃなかったですか。確か中野好夫さんが翻訳されていましたよね」
「そうですね。でも、私は風光書房で購入した昭和48年に発売された、初版は昭和11年から12年の
 佐々木直次郎訳の岩波文庫を読んでいるのですよ。旧仮名遣いで、「着く」が「著く」となっていたり、
 古いかなづかいや漢字の旧字体が出て来て楽しいですよ」
「読み終えたら、是非貸して下さい。それにぼくは、小川さんが言われていた、日高八郎訳の「大いなる遺産」を
 読んでみたいと思うのです」
「いつでもお貸ししますよ」
「ありがとうございます。ところで「二都物語」はどうですか」
「私は相川さんの前なので少し大風呂敷を広げてみたい、相川さんならそれを許してくれると...」
「そうそう、いつもぼくの大風呂敷の「面白い小説ってどんなんだろう」におつき合いいただいていることですし」
「いえいえ、でも、そんなたいそうなものじゃないんですよ。相川さんは、シドニー・カートンとチャールズ・ダーニー
 についてどのように考えられます」
「ぼくは主人公シドニーにダーニーがそっくりなので、身代わりになってシドニーが処刑になる。それは愛する
 ルーシーのための忠誠心というか...」
「そうですが、ぼくはこの小説はシドニーはイギリスという国、ダーニーとルーシーはフランスという国を象徴して
 いるように思われるのです。そうしていろいろ欠点のある国家であるけれどいざという時には忠誠を尽くすから、
 仲良くやっていこうよと言いたいんじゃないかと...」
「なるほど。そういうふうに考えるとスケールの大きさを感じますね」