プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生117」

秋子とアユミがモーツァルトのクラリネット協奏曲(と言ってもアユミの夫がピアノ伴奏用に編曲したものだったが)の
第1楽章の演奏を終えた時に拍手をした人もいたが、拍手がやむと秋子とアユミは第2楽章の演奏を始めた。
<思わず拍手をしてしまった人の気持ちもわかるなあ。技術的に申し分ないふたりがさらに練習を重ねたのがよくわかる。
 秋子さんのクラリネットの音色は美しい。それにいつになく装飾音をたくさんつけている。これはアユミさんがしばしば
 即興的に音を加えたり、テンポを自由に変えたりしているからだろう。ぼくの場合、モーツァルトのクラリネット協奏曲の
 聴き始めは、ベニー・グッドマンのレコードだったが、その後、ウラッハ、ランスロ、ド・ペイエなどを聴いていた。
 どの演奏もすばらしいものだったが、こうして生演奏で聴くのもスリリングでいいなあ>
小川がふたりの演奏を聴きながら物思いに耽っていると、深美と桃香がやって来た。
「おかあさん、楽しそう。やっぱり、アユミ先生と一緒の時が一番ね」
「わたしは違うの。おねえさん、わたしやご主人と一緒の時の方が...」
「しーっ。もうすぐ終わるから静かにしていて。で、お父さんが拍手をしたら、一緒に拍手をするんだよ」
「はーい」

拍手はしばらくやむことがなかったが、アユミの夫が大型スピーカーの前に立つと聴衆は手を止めて話すのを待った。
「本日のプログラムは以上ですが、アンコール曲としていつも演奏する、「ロンドンデリーエア」「グリーンスリーブス」
「春の日の花と輝く」をお聴きいただきます。引き続き、クラリネットとピアノの演奏でお聴き下さい」
<それにしても、アユミさんの伴奏はすばらしい。即興的にいろんな旋律を入れている。ぼくも秋子さんの指導でクラリネットの
 簡単な旋律を吹くことはできるようになったが、ジャズメンのように即興的に旋律を挟めるくらい上達できるんだろうか。
 楽譜に忠実に演奏することが基本だろうが、やはり自分なりに解釈して音を付け加えたりして自分が馴染みやすいものに
 した方が演奏していて楽しいだろうし...。どうやらアユミさんのアドリブも終わりのようだぞ>
「盛大な拍手ありがとうございました。今回のコンサートはプログラム内容を一部変更してお送りしましたが、お楽しみいただけ
 ましたでしょうか。いろいろと企画していたのですが、その半分も聴いていただいていません。次回のコンサートの時にも
 皆様方に楽しい一時を過ごしていただけるよう頑張るつもりですので、今後ともご声援よろしくお願いします」

その夜小川が眠りにつくと、夢の中にディケンズ先生が現れた。
「小川君、コンサートを無事終えることができてなによりだったね」
「そうですね。今回は最初演奏者として参加することになっていたのが、アユミさんの欠席で、そう言っても最後は出て来られた
 のですが、司会をすることになり、司会も途中からご主人がされることになり、どちらかというとコンサートを楽しませて
 もらったという感じですね。次回は練習をきっちりしてコンサートに参加しようと思いますが、みんなの足を引っ張らないように
 したいですね」
「そうさ、君が一緒に演奏するとなると、君の家族もこれまで以上に張り切ると思うよ」
「はい、頑張ります」