プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生118」
小川はいつもの喫茶店で「二都物語」を読んでいたが、 最後まで読み終えると最後の2ページのところにある
「主人公が残したかもしれない感想」のところをもう一度読み返した。
<シドニー・カートンは愛するルーシーのため、チャールズ・ダーニーの身代わりになって断頭台に上る
わけだが、この感想のところを読むとカートンはルーシーの幸せだけを願って、突然熱くなって行動を起こした
というのではないようだ。カートンは、自分の生命を捨てて救った人々が平和に有益に幸福に暮らしさらに
子孫の代になってもひとつの聖殿となって自分のことを尊敬し続けるということを確信している。
ダーニーが再度投獄されて、刑が確定しそうになって家族が途方に暮れている時に、カートンは間諜バーサッドの
弱みを握って監房内でダーニーと入れ替わることを可能にする。自分が身代わりになってダーニーが断頭台を逃れた
としてもイギリスに戻らないと安全が保障されないと考えたカートンは、ルーシーたちが一刻も早くイギリスに
帰れるようにロリー頼んでいる。このような周到な準備をしたからこそ、カートンの計画が成功したわけで、
単にカートンとダーニーが似ていたからというだけで成功したわけではない。
小説の中には書かれていないが、薬品をかがされて気を失っているカートンと思われていた人物がダーニーだと
気付いた時のルーシーたちの驚きはどれ程のものだったのだろうか。
この小説はフランス革命の頃の話で歴史小説との位置づけだけれど、登場人物は何れも実在の人物ではない。
それでもチャールズ・ダーニー一家を執拗に追いつめるマダム・ドファルジュは存在感がある人物だ。その
フランス革命を裏で支えているような人物がルーシーの侍女のミス・プロスともみ合いになって自分の銃が
暴発して絶命してしまうところは悪を懲らしめているようなイメージを持つ。血腥く、凄惨なシーンが多く、血に
飢えたマダム・ドファルジュのような人物がたくさん出て来る反面、ディケンズ先生の小説によく出て来る善良で
ユーモラスな人物が影を潜めている。もうこんな時間か、急いで会社に行かないと>
小川は帰宅が遅くなったので、静かに玄関のドアを開けて書斎に入り布団を敷いて横になった。
<会社を出たのが午後11時30分を過ぎていた。朝まで横になって、シャワーをしてから仕事に行こう。
みんなを起こすのは悪いし...>
小川が眠りにつくと夢の中にディケンズ先生が現れた。
「小川君は何か私に訊きたいことがあるのかな」
「そうです。「二都物語」は歴史小説と言われていますが、他の先生の小説と違っていつも緊迫感が漲っています。
シドニー・カートンという他に類を見ないような主人公を創造されたのはすごいことだと思いますが、読み終えて
かなりの疲労感が残りました。何か救いになるような人物が描けなかったのでしょうか」
「確かにこの小説には、ユーモラスな人物は出て来ないし気が滅入るような重苦しさがある。それもこれもクライマックスの
ところでのカートンの死を英雄的なものにしたかったからなのだよ。詳しいことは言わないが、仕事に挫折し、
恋に破れた40半ばの男が愛する人とその家族のために自分の身を犠牲にするというのが...」
「でも、今まで3度この小説を読みましたが、シドニー・カートンの英雄的な行動に引かれるというよりも物語全体に
流れている暗い雰囲気がとてもつらいのですが...」
「やはり、小川君もそう思ったんだね。実はこの小説はそのたまらない雰囲気を伝えて、そんなことを繰り返していいと思う
のかと言いたかったのだよ」
「そうなんですか、それならわかります」