プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生119」

小川はアユミの夫と都立多摩図書館前で待ち合わせることになっていたが、アユミの夫よりも先に
相川がやって来た。
「やあ、小川さん、早いですね。まだ30分あるはずですよね」
「そうなんですが...。実は、相川さんが受講者は多い方がよいと言われたので、今日は近所の人を
 誘いました。跳んだり跳ねたり、2種類の声を使い分けて歌ったりして飽きさせない人なのですが、
 なぜか西洋文学の本を今まで1冊も読まなかったと言われるので、相川さんに西洋文学の素晴らしさを
 説いてもらい、西洋文学のファンになっていただこうと思いました。時間にルーズな人ではないので、
 もうすぐ来ると思うのですが...。ところで相川さんは何か用事があって早く来られたのですか」
「小川さんに楽しんで聞いていただけるように、お会いする前にもう一度原稿をチェックしておこうと
 思ったのですよ。なにせ、2ヶ月ぶりなので」
「そうですか、とても楽しみです。あっ、あれは」
「なるほど、小川さんのお友達というのはあの方ですね。信号が赤に変わったと思ったら、スクワットを
 し出した。私はもう一度チェックをしてから約束した時間にここに来ますので、もうしばらくお待ち下さい」

小川は、相川が戻って来るまでにアユミの夫にこの会の趣旨を説明した。
「そういうわけで、いろんな話をされるので、ご主人には理解し難いことが山ほど出て来るかもしれません。
 そんな時に質問をしてしまうとせっかくの雰囲気が壊れて、しらけてしまう恐れがあります。そこで...」
「何をすればよいのですか。スクワットですか」
「まさか。そんな時は私に合図を送って下さい。方法はお任せします。合図があったらしらけないように
 ご主人が言いたいことを代弁するようにします。それから講義の最後に連続する小説を朗読されるのですが、
 今までの大まかな筋については昨日ワープロ打ちしたものをお渡ししましたが...」
「ええ、それは何回か家で読んで来ました。あっ、講師の方が来られましたよ」
「相川さん、お待ちしていました。それじゃー、いつものように、向かいの喫茶店に入りましょうか」

「相川さん、ご紹介します。近所にお住まいで家族で親しくしていただいている大川さんです。それでは、
 さっそく始めていただきましょうか。その前に今日の演題をお訊きしてもよろしいですか」
「いいですよ、今日は3つ用意しました。「思いがけないことは物語を面白くするか」「感情移入しやすい人物
 とは」「ヒロインの理想像、リトル・ドリット」...」
相川が3つ目の演題を発表したところで、アユミの夫は右手の親指と人差し指をペンチのようにして小川のお尻を
つねった。
「いたーーーーっ」
「どうかしましたか」
「心配はいりません。少し思いがけないことが起っただけですから」