プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生120」

小川は、アユミの夫にお尻をつねられて苦悶の叫び声を上げてしまったが 、相川に気にしている様子がなかったので、
アユミの夫のリクエストに応えることにした。
「相川さん、私は講義内容は概ねわかるのですが、こちら、大川さんにはわからないことがたくさん出て来ると思うのです。
 いちいちお尋ねしてよいでしょうか。例えば、リトル・ドリットと言われても、大川さんにはなんのことかと...」
「そこは気にされなくてよいですよ。でも、もしわからないところがある時には、ひとつの講義が終わる度に質問をお受け
 することにしましょう。私は決して神経質ではないんですが、大川さんのわからないことが出る度に小川さんが目尻に涙を
 浮かべられるのを見ると、気の毒に思って心ここにあらずという気になってしまうのです」
「お気遣いありがとうございます。そういうわけですから、大川さん、まずは相川さんのお話を一緒に聞くことにしましょう」
「そうですね」
「では最初の「思いがけないことは物語を面白くするか」ですが、これは身近な例を当てはめてみるのがわかりやすいでしょう。
 例えば、日頃から高嶺の花と諦めていながら諦め切れずに声を掛けていた女性から、ある日突然告白されたら誰だって心が
 はずむに違いありません。日頃から歌は下手なので歌わないと言っていた人が、忘年会の演芸でユモレスクをピアノ伴奏付きで
 クラリネットで演奏したなら同僚の人たちは歓声を上げることでしょう。また悲しい話で言うと、いつも元気だった人が
 突然不治の病に冒されるということがあります。こういったふうにそれまでその人は特徴のない人と捉えられていたところ、
 女性からの評価が突然変わったり、その人の新しい魅力が発見されたり、外的な避けることができない力で窮地に追い
 込められたりして、思いがけない方向へと転換することがあります。この技巧を頻繁につかうとわけがわからなくなる
 恐れがありますが、1回だけに限るととても効果的です。また順調に一つの道のりを歩いていたのが、突然逆走し出すような
 効果も期待できます。それでは、いつものように小説の中でこのことを実践してみましょう。
『石山は本山の心遣いを有難いことだと思った。それに応えようとして、勇ましい声を出しながら一歩を踏み出したが、石山に
 とってアンラッキーではなくて不運なことに、そこには併設されている公設市場で誰かに買われながらも、買い物かごから滑り
 落ちたアンラッキーなコンニャクが威風堂々と待ち構えていた。石山は最初足の親指を鋭角的に曲げることで凌いでいたが、
 じりじりと自分から離れて行こうとするコンニャクの潜在的な力に対抗することができず、その場に尻から落ちてしまったの
 だった。俊子は思わず叫んだ。「まあ、なんて面白い」そう言って俊子は石山に駆寄ったが、運悪くそこにまたコンニャクが
 待ち構えていた。俊子も同様にコンニャクの犠牲になったが、日頃から足腰を鍛えていたので、バランスを崩してしゃがみ
 込んだがすぐに立ち直った。一番コンニャクの被害を受けたのは本山だった。俊子を助けようとして駆寄った本山はふたりと
 おなじようにスケート靴を履いたように滑り始めた。先のふたりは数センチで踏みとどまったが、運動不足の本山は踏ん張りが
 きかず、ホームベースへのスライディングのように2メートルほども滑走してようやく止まった。本山を置いてきぼりにする
 わけにはいかないので、ふたりは本山を起こして近くのベンチに腰掛けさせた』
 ということで、続きは次回のお楽しみ」
「なるほど、相川さんはよい例ではなく、このようなことをするのはよくないよということを示されたわけですね。そういう
 ことで、質問したいことは特にありません。それにしても、リトル・ドリットってどんな女性なんだろうなぁ。」
「大川さん、ご清聴ありがとうございました。でもリトル・ドリットの説明はもう少しお待ち下さい。どうかしましたか、
 小川さん」
「うーん、やっぱり私たちの世代は食べ物を粗末にするのはどうも...」
「そうですね。気をつけます」