プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生122」
相川の話が途切れた時に、大川は小川に話し掛けた。
「小川さんは、リトル・ドリットのことはよくご存知なのですか」
「そうですね、ディケンズの「リトル・ドリット」の主人公(ヒロイン)で、本名はエイミー・ドリットなのですが、
小柄なので「小さいドリット」なのです。と言っても、20才を越えたお針子の女性です。この小説の本当の
主人公はアーサー・クレナムという40才を過ぎた男性なのですが、エイミーはこのクレナムの母親に仕事をもらって
おり、海外から戻って来たクレナムとエイミーがある日出会うところから物語は始まるのです。その「リトル・ドリット」
がなぜ「ヒロインの理想像」なのかは、相川さんから話していただきましょう」
「まあ、理想像などと言ってしまったのは、大袈裟のなことを言ってしまったと後悔しているのですが、でも、このエイミーという
女性に好感を持たない人はいないでしょう。債務者監獄に入れられている、自分の家族や叔父のために勤勉に働いている。
性格は誠実そのもの。大きな財産が転がり込んでも、自分を失わず相変わらず質素な生活を続けている。そして最後には...」
「相川さんも、やはりそう思われましたか。ぼくもエイミーが、自分のことを、取るに足らない存在(ノーボディ)と思い込んで
エイミーに愛の告白をしようとしないクレナムに自分から愛を告白するところは驚嘆に値するシーンだと思いますね」
「その通りです。冷静になって考えてみれば、いくら親しくなっても、はたち過ぎの女性が40才の男性に告白するのは不自然で
考えにくいことなのですが、それまでの物語の展開からすると、それもありうることかな、そういった会話も成立するかなと思わ
せるところが、ディケンズの小説の真骨頂と言えると思います。ディケンズの小説が優れているのは、存在感のある登場人物が
これしかないというシチュエーションで心からの、気持ちを高揚させたり、じーんと心に暖かいものを宿らせるような会話を
しばしば展開させるからなのです。心理的に追いつめられ、エイミーを諦めようと思ったクレナムにエイミーは、「わたしの
愛するアーサー、もう二度と別れないわ。死ぬまで二度と別れないわよ!」と言ったり、「もし神様の思し召しならば、わたしは
あなたと一緒にここに戻って来て、わたしの愛と真実で慰め尽くすのが、わたしの幸せなのよ。どこへ行っても、わたしはあなたの
ものよ!わたしは心からあなたを愛してるわ!」と若い恋人たちが交わすような熱い告白を一方的にするのです。このように
ディケンズの小説は様々な年齢の男女の願望を少し満たしてくれることがあるのです。それでは、いつものように私の小説に
移りますが、ここはひとつ、俊子をリトル・ドリットのように一途な女性に描いてみることにしましょう。
『石山が突然、「本山と一緒におでんの屋台に行こう」と言った時、俊子は泣きたい気持ちになったが、本山を置き去りにする
わけに行かないので、ええ、そうしましょうと言った。本山はすぐに正気になったが、今晩の晩飯代を節約できるという
それだけの理由でふたりに同行することにした。まだ石山と俊子の間の蟠りがとけたわけではなかったので、当然椅子の並びは
石山、本山、俊子となっていた。石山が、本山さんが好きなものを頼んで下さいと言ったので、本山は、それじゃー、牛筋を
10人前下さいと言った。俊子は驚きのあまり石山が20センチもお尻を浮かすのが目に入ったので、8人前にしなさいよと
言った。本山が、おでんと酒でいい気持ちになってお銚子を枕にしてぐうぐう鼾をかき出した時には、石山と俊子は発展的な
会話をしようとする気持ちにはなれなかった。それでも俊子が本当のことを言わないまま石山が帰ってしまうと、二度と
石山と会えないような気がして来た。ここは私の人生の分岐点。多少の無理は神様もきっと許して下さるわ。そう考えた
俊子は屋台と長椅子の間にしゃがみ込んで、本山の靴と靴下を脱がせて足の裏を擽り始めた。しばらくして目を覚ました本山は、
「おかーちゃん、気持ち悪い」と言って、靴と靴下を忘れないようにしてどこかへ消え失せてしまった。俊子は作戦が成功した
ことを喜んだが、石山は本山の友情に目頭が熱くなった』」
「ということで、今度は1ヶ月後に続きを聞かせていただけるのですね」
「小川さんのお誘いをお受けしてよかった。相川さん、今後とも、よろしくお願いします」
「こちらこそ」