プチ小説「登山者4」
山川が中峠の手前の上り坂を登っている時に、急に雨が強く降り始めた。山川は天気予報で
曇りと聞いていた。それでせいぜい雨が降ったとしても少しで継続的に強く降るとはまったく
考えていなかったため、雨具を持って来なかった。しかも最近買いかえた登山靴は足の甲に
力がかからず、第一趾にばかり力がかかるので、下り坂で足を踏みしめるたびに激痛が走った。
「それにしても今年はついていないな。5月に入っていよいよ登山のシーズンとなったのを
機会に新しい登山靴を買ったけれど、どうもこれがよくない。歩くたびに激痛が走るようでは。
2万5千円を1万4千円にと表示されているのに飛びついたが、結局、3回履いただけで、
捨てることになるのか」
山川は武奈ガ岳山頂からワサビ峠方面に少し下ったたところにある、急な下り坂で踏ん張った
ところで我慢できないほどの激痛に襲われ、思わず声を上げた。それと同時に新しい靴を
処分することに決めたのだった。いろんな思いが混じり合って中峠に着くと、中年の数人の
男女がいた。その中の60才くらいの男性が山川に声を掛けて来た。
「大雨になってしまいましたね。それに雨具をお持ちでないようですね。大丈夫ですか」
「そちらこそ雨に打たれて風邪を引かないようにして下さい。私は
別に問題はないとは思います。
30回以上来た道ですから大丈夫ですよ」
「それに足を引きずっておられたようだ。金糞峠から青ガレまでの急な下り坂もあることだし、
少し処置をしてから先に行かれてはどうですか」
そう言って、豪雨が降る中その男性は山川のために包帯とサージカルテープと絆創膏を自分の
リュックの中から取り出した。
「これでよしと」
「どうもありがとう。それにしても...」
「それにしても、仲間でもない自分にどうしてとおっしゃるのかな。気になるなら、教えてあげよう。
私たちはみんな山好きで山を愛する人はみんな自分たちの友人だと思っている。だが、私たちの
気持ちを理解してくれない人もいる。ひとつのメルクマールとしてその人の態度を見ている。
私たちの友人であるのなら、好意を表わしてくれる。あなたにはそれがあった。その丸印や×印
や矢印を見て進んで行く訳だ。ははははは。わかったかな」
山川はしばらく感謝の気持ちを言葉に表せないでいたが、
「みなさん、お気をつけて、またお会いしたいですね」
と言って、先を急いだ。