プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生126」

小川は、アユミの夫と相川と3人で集まってどのような演奏会にするかを決めればよいと秋子から
勧められたので、さっそくその次の日曜日の午後に集まることにした。とりあえずはピアノを利用
できるスタジオを借りることにし、約束した時間にそのスタジオの前で待ち合わせることにした。
小川は、秋子から借りたクラリネットを持参した。
「やあ、小川さん、早いですね。まだ約束の時間まで30分もありますよ」
「ああ、これは、大川さん、やはり昔からご愛用のクラリネットをお持ちになられたのですね」
「小川さんと一緒に練習しようと思いまして。あっ、相川さんが来ましたよ。楽器はお持ちでないよう
 ですが、楽譜を両手で持ちきれないくらい持っておられますね」
「どうも、お待たせしました。おふたりとも早いですね。私の場合。愛用の楽器といわれても自宅にある
 ピアノだけなので、何かお役に立てないかと思い、今まで演奏して来たピアノ曲の楽譜を持って来ました。
 私は高校生になると練習曲をするのが物足りなくなって、大作曲家の作品を少しずつ演奏するように
 なりました。といっても、自分のピアノに関する知識だけでは弾けないので、音大のピアノ科に行った
 友人から指導を受けたり、演奏会で鍵盤のところがよく見える席に座りテクニックを覚えたりしました。
 レパートリーは200曲くらいありますが有名なものでは、ショパンのアンダンテ・スピアナートと華麗な
 大ポロネーズ、シューベルトのさすらい人幻想曲、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番、シューマンの
 クライスレリアーナ、謝肉祭などでしょうか」
「えーっ、その曲全部はアユミだって弾けないでしょう」
「いえいえ、私は趣味としてやって来たのですから、きちんとした指導を受けた、大川さんの奥さんの方が...」
「まあ、とにかくこのスタジオにはグランドピアノもありますから、相川さんの演奏を聴かせていただきましょう」

「す、すごいですね。さっき言われていた。5つの曲の難しい部分を次々と演奏されるのですから、演奏中に
 楽譜を見せていただきましたが、ベートーヴェンとショパンの主な曲はすべて弾かれるのですね」
「ええ、大好きな作曲家ですので」
「それとほとんど暗譜で演奏されましたが...」
「ええ、好きなメロディーは不思議なことに余り苦労しないで記憶に残ってくれるんですよ。たとえば、さすらい人
 幻想曲なんかは全て暗譜で...」
「そこまでできるんでしたら、プロになられたらいいのに」
「よく言われますが、できない理由があるんです。実は、聴衆の視線を感じると駄目なんです。人前で演奏しな
 かったのは、高校生の時にトラウマになるようなことがあったからとだけ言っておきましょう。もう52才になって
 トラウマとなっていたことの記憶も薄れてきましたし、ヴィオロンの聴衆は多くて30人ということですので、多分、
 上がって演奏できなくなる心配もないでしょうし、いざとなればおふたりが救いの手を差し伸べてくれるでしょうし」
「そうですね。でも、私たちは相川さん、小川さん、私の合同演奏会をするのですから、仲良く3人の個性が生かせる
 ようにしましょう。3部構成で、第1部は相川さんの演奏で聴衆の度肝を抜き、第2部の私の演奏で寛いでいただき、
 最後に3人の演奏で楽しんでいただくというふうにしたいのですが」
「私は、大川さんについて行きますよ」
「私のピアノでできることだったら、なんでも言って下さい」