プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生132」

小川は月1回開催することになった、「面白い小説とはどんなんだろう」の講義を聴くためにアユミの夫と
近くの駅で待ち合わせた。待ち合わせの場所に行くと、アユミの夫はすでに来ていた。
「小川さんは、アユミのことを気遣ってここで待ち合わせたのかもしれないけど、そんなに心配されなくてよいですよ。
 元気でやってますから」
「それは秋子や子供たちから聞いているのですが、やはり無事出産されてからにします。丈夫な子供を出産されることを
 お祈りしています」
「ありがとうございます。じゃー、行きましょうか」

「ちょっと早く着きすぎたかな。まあ、ここで待ってましょう。それにしても、昨日、相川さんがぼくに電話を掛けて来て、
 中学生の頃の手紙が残っていたら、持って来て下さいと言われたんです。それが、これなんです。と言っても下書きですが」
「拝見していいですか。ふんふん、なるほど、ラヴレターですね。でも、なぜこのようなものを残しているんですか。
 秋子さんに問いつめられたら困られるでしょう。まあ、秋子さんはそのようなことはされないでしょうけれど」
「秋子さんと何度も手紙のやりとりをしているので、それを持って行きたかったのですが、相川さんは中学時代の時のと
 わざわざ断られたので、これを持参したのです。実は、秋子さんに出した手紙の下書きはほとんど残っていないのですよ。
 現物をいつでも閲覧できると思って、捨ててしまったんです。でも送ったのは秋子さんが持っているのですが、なぜか
 どこかに隠して見せてくれないんです。どうも実家に置いて来ているようなんです。ここに持っている手紙の相手は、
 ぼくが中学生の時に引っ越しをして、それからしばらくして転居先がわからなくなってしまったんです。とにかく
 ディケンズが好きな子で、一緒に「クリスマス・キャロル」の映画を見に行きました。
 音楽の素晴らしさを教えてくれたのは秋子さんだったのですが、ディケンズの小説の素晴らしさを教えてくれたのはこの子に
 なると思います。残念ながら、彼女から貰った手紙は秋子さんと付き合いを始めてから処分してしまったのですが、
 なぜかこれだけは、ディケンズという素晴らしい作家を教えてくれた彼女に敬意を表して残しておくことにしたのです。
 手紙の内容を詳しくは言いませんが、こちらからは自分の思いを一所懸命届けようとしているのに、彼女の方は冷静で
 好きな小説家の話をしている(彼女が前に会った時にその話をしたと書いているんです)。ぼくが勝手に思っているだけ
 かもしれませんし、なんの裏付けもないのですが、中学生の頃は、女性の方はすでに立派な人格形成ができていて、自分の
 趣味や周りのことを語って、それに対して子供のような相手がどのような出方をするか冷静に見ているような気がします」
「小川さんの言われていることは正しいと思います。ぼくは大学生の時にアユミと知り合ったわけですが、音楽だけでなく、
 力、技、スピード全ての面でわたしのはるか上を行っていたので、私は子供のような扱いでした。昼食はお子様ランチしか
 食べさせてもらえなかったのですから。と言っても、経済的な理由からそれを食べていたというのもあるんですが」
「そうですか、それは大変だったですね」
「あっ、相川さんが来られましたよ」
「お待たせしました。じゃあ、いつものところに行きましょうか」