プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生133」
小川が持参した手紙の草稿を差し出すと相川は少し見ていたが、ありがとうございますと言って小川に返した。
「あれっ、相川さんは中身に興味はないのですか」
「ええ、これで十分です。わたしは、小川さんが手紙を書き始めた時からどのようにされていたかを知りたかったのです。
手紙を重要な伝達手段と考えるのなら、下書きをしてそれを残しておかれると考えたからなのです。手紙を重視しない方は
簡単なメモと共に贈り物をされたりする。贈り物に重きを置くとすると、仕方がないことなのかもしれません。私自身と
しては物質的な欲求が満たされるだけよりも、メッセージを添えたり手紙を書くことで、贈った人の言葉が永遠に心に
留まる方がよいと思うのですが、おふたりはどのように思われますか」
「小川さん、ここはぼくが引き受けましょう。われわれふたりとも決して経済的に恵まれていないので、たまには素敵な贈り物を
してみたいという欲求はありますが、やはり心のこもった手紙で相手に謝意や好意を持っていることを伝えるしかないのです」
「わかりました。ところで、この手紙というものを効果的に使った小説をご存知ですか」
「ええ、オースティンの「自負と偏見」でしょう。第35章のダーシーがエリザベスに渡した手紙は物語を別の方向へ急速に
展開させて行きます。簡単に言うと、その手紙を読むことでエリザベスはダーシーに対して持っていた偏見が振り払われて、
好意を持ち始めるのです」
「そのとおりです。また、これはあまり知られた作品ではありませんが、リチャードソンの「パミラ」という作品も書簡体の
小説のすぐれたものとされており、残念ながら、私は未読なので是非読んでみたいと思っています。それでは、いつもの
ように小説をお聞きいただきましょう。
『おでんの屋台を出た石山と俊子は、お互いをじっと見つめ合っていたがどちらからも言葉が発せられなかった。しびれを切らした
石山は、「おれは口べただから、これを読んでくれ」と言って、1枚のメモ書きを俊子に手渡した。石山は当然俊子からよい
返事が得られるものと考えていたのが、そうではなくて首を傾げてやがて怒りとも諦めとも言える表情に変わったので、状況
を敏感に感じ取った。「あっ、それは旅行の行程を控えたメモだった。こ、こっちを見てくれ」そう言って、もうひとつの
メモ書きを俊子に渡した。そこには次のようなことが走り書きしてあった。「おれはこういう真っ直ぐな性格だから、単刀
直入に言わせてくれ、よく聞くんだ。よく婉曲的な表現を使って仄めかしたり、「わかるだろう」なんて言って相手に考え
させたりするやつがいるが、そんなやり方は俺には似合わない。だから、はっきりと言うことにしよう。おれは君と知り
合った時から、君の...」途中でメモを読むのをやめた俊子は単刀直入に石山に話した。「あなたは、もう気付いていると
思うけど、私が結婚するというのは、みんなでお芝居をしただけなの。それというのも、あなたが少しは心を入れかえてくれる
と思ったからなの。でも、あなたの落ち着きのなさ、心のなさは、本当に嫌になってしまう。とりあえず1年間あなたは頑
張ってみて。わたしに会いたいと思ったら、いつでも来てもらっていいわ。でもあなたについて行くかどうかは、あなたの
言動次第よ。わかりましたか」「そ、そうか、それだったら、来週、出直して来るよ。わかった。理解できた」』」
「そうですか、石山は心のこもらない手紙を俊子に渡してしまったために今までの愛情を失ってしまった。もう俊子との関係を
修復することはできないのでしょうか」
「まあ、それは言わないでおきましょう。ただぼくは悲劇的結末よりもハッピーエンドが好きなので、そのようにしたいと思って
います」
「ぜひ、そうして下さい」