プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生136」

小川が珈琲のおかわりを頼みに行こうとした時に相川は呼び止めた。
「小川さん、気を使われなくていいですよ。この会は、珈琲1杯で充実した時間を過ごすというのがとりえなのです
 から。もし喉が渇いたら自分で水を頼みますから。それから今日はもうひとつだけ講義させていただいてお開きに
 しますので、もうしばらくはおつき合い下さい」
「わかりました。で、今日最後の演題は」
「「ディケンズの小説の中の子役」という演題にしました」
「それなら、「骨董屋」のネルと「オリヴァー・トゥイスト」のオリヴァーのふたりが双璧だと思いますね。
 どちらも主人公ですし...」
「そのとおりです。でも、私は、ネルは物語を悲劇的に終えようという意図から余りに大人しい汚れを知らない
 現実離れした少女にしてしまった気がして、好きになれません。また、オリヴァーは幼い頃から、いろんな悪と
 戦いながら生きて来たというのがわかるのですが、彼の機転ですべての災難から逃れ最終的にはハッピーエンドで
 終わるというのがどこか不自然な気がします。そういうことでこのふたりよりも、デイヴィッド・コパフィールドの
 少年時代、「大いなる遺産」のピップの少年時代の方がリアリティがあり成長を見守って上げたいという気持ちに
 なります。とはいえ私はこの4人よりもさらに興味を持った子役が何人かいます。「デイヴィッド・コパフィールド」
 で主人公が幼い日に恋心をいだくエミリー、「クリスマス・キャロル」に出て来る病身であるが明るさを失わない
 ティム・クラチット、「我らが共通の友」の第4部第12章に登場する主人公とベラとの間にできた赤ん坊などは
 出番は少ないのですが、心の中になにか暖かいものを齎してくれる子役であると言えましょう。最後にベラの子供が
 登場するところから少し引用してみましょう。「芸達者な赤ちゃんベラはただちに、(中略)くにゃくにゃの腕と
 まだらの握りこぶしを振り上げて万歳の音頭を取らされた。「ご唱和、ネガイマチュ...」」「そんな返事でごまかさ
 れるような赤ちゃんベラではなかった。「アタチの...」その言葉の切れ目切れ目に、まだらの握りこぶしのどっちかの
 パンチが、やさしくパパの顔面に炸裂するのだった」それでは、今回は子役にご出演していただきましたので、主人公の
 子供の頃の回想シーンを挿入してみましょう。
  『先週に続いて今日も課長と河川敷で特訓をした西山は課長が、おでんの屋台に寄って行かないかというのを断って
   河川敷を物思いに耽りながら歩いて帰ることにした。「それにしても、女性の心をつかむのはなななんと難しいこと
   なんだ」駄目だ。こんな時にも面白いことを考えてはにたにたしている自分が情けない。だいたいぼくは関西人の
   いちびりの精神を幼い頃から漫才や落語で植え付けられて来た。これは友人を作るためには便利なことだが、こと
   恋愛については最悪だ。なぜなら受け取る側に「なんて真剣味のない人」「そんなギャグより愛の言葉のひとつ
   でも囁いてよ」なんて思われるのがオチで、決して「なんて面白い人なの」だとか「私を笑い袋にして」なんて
   言われることはない。やはりよく大型の洗濯機で洗ってから1週間ほど天日に干して、ぼくの身にしみついている
   いちびりな心を洗い流さないと埒があかないんじゃないかな。でも、この特訓は無心になって一つの目標に向かって
   やっているから成果があるかもしれない。ただ、鼓舞するトランペットがないとどうなるか、少し気になるが』」
「いつものように、次回に楽しみを残して終わっていただきました。また1ヶ月後に講義をお聞かせいただけるのですね」
「ええ、私もこのときが来るのを楽しみにしているんです」