プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生138」

小川とその家族は、東京駅の新幹線ホームに上がる前に、弁当売り場の奥にある喫茶コーナーで
しばらく時間をつぶすことにした。
「それにしても、ご両親がとんぼ返りで京都に帰るというから、秋子さんとぼくは入場券で入ったけど、
 一旦外に出て夕食を食べてもらえばよかったんでは...」
「そうすると今日の新幹線で帰れなくなる恐れがあるし、小川さんに気をつかわせてしまうからよ。
 でも第一の理由はかわいい孫二人を早く京都に連れて帰って一緒に遊びたいからだと思うわ」
「ところで、深美と桃香は何がしたいのかな」
「わたしはおじいちゃんにピアノを習いたいと言ったら、そういうレッスンを見つけておくからと言って
 くれたの。だから多分音楽教室通いだけで終わると思うの」
「えーっ、まさか桃香も...」
「そうなの、わたしはほんとうはクラリネットを習いたかったんだけど、まだ早いから通うところは同じなの」
「でもそれじゃー、観光地に行くわけでもないし海水浴に行くわけでもない。それで有意義な夏休みと言える...」
「でも、今の夏は昔と違って暑いから、外で遊んでいると熱中症になったりするし、水遊びも危険がともなうし。
 だから、図書館や音楽教室で自分の才能を伸ばすのがいいみたい。音楽教室に行かない日は、京都府立図書館や
 京都市中央図書館に連れて行ってもらえるみたいよ」
「ぼくとしては、秋子さんとふたりで行った、円山公園とか嵐山とか府立植物園とかがいいと思うんだけど...」
「そうそう府立植物園は涼が取れるところがあるから、行く予定になっているみたい。でも観光地は...」
「まあ、ぼくの夏休みは川で泳いだり、カブトムシやクワガタをとったり、夜に花火をするくらいだったから、
 子供たちの方が充実したものになるのかもしれない。子供たちには思いっきり夏休みを楽しんでほしいな」
「おじいちゃんもおばあちゃんも張り切って、予定より1本早く来たようだわ。ほらあの通り、ふたりとも
 元気いっぱい。満面の笑顔でこっちにやって来るわ」

二人の娘を京都に送り出したその夜、小川は早い夕食を食べた後すぐに書斎に籠って持ち帰り残業を始めたが、
終わったのは午前0時を回っていた。小川は書斎で寝たが、眠りにつくとディケンズ先生が夢の中に現れた。
ディケンズ先生はいつもと違って寡黙だった。やがて言うべきかそうするべきでないか逡巡し出した。
「......」
「先生、どうされたんですか。早く何か言って下さい」
「実は...」
「どうしたんですか。勿体ぶらずに言って下さい。言いにくいことなんですか」
「別れ...」
「えーーーっ、誰と別れるんですか。まさか、子供と離ればなれになるのですか。それは、あんまりです」
「いや、私は、ショパンの「別れの曲」が大好きなんで次回のヴィオロンのコンサートで演奏してもらいたいんだよ」
「ふぅー、安心しました。それなら、クラリネットでも演奏できるので、深美と私とで演奏しますよ」
「そうか、頑張りたまえ」