プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生142」

相川が英国製の高級紳士服を着こなしているのを見て、小川と大川は雲の上の人と話しているように思えて来た。
「お二人ともどうされたのですか。特になければ、遠慮なしに講義を始めさせていただきましょう。今日の演題は、
 「ディケンズの小説に登場する善良な人たち」「パロディー小説について」「大衆作家アレクサンドル・デュマ」
 「今の時代にこそディケンズ」という演題で話させていただきます」
「その前にどうしてもお訊きしたいことがあるのですが...」
「ええ、なんでもお訊き下さい」
「多分、今から言うことは小川さんも同じ考えだと思うのですが、ぼくたちは相川さんの好意に甘えて、貴重な時間を
 割いていただいたのですが、それに対してぼくたちは何ができるのかと。楽しい講義を受けたけれど、授業料を払う
 わけでないし、今度、ヴィオロンで一緒にライヴをしようと言って下さいますが、もしかしたら一流のピアニストと
 ライヴをするという暴挙をしようとしているのではないかと」
「ははは、そんなことはありません。私はお二人と楽しい時間を過ごしているとしか考えていないのです。一昔前なら、
 文学やクラシック音楽の話をして楽しい時間を過ごすことは簡単だったように思いますが、今の時代はそうではなく
 なった。今、その最後の根城となっているのが、図書館と名曲喫茶だと思うんですよ。図書館でたまたま小川さんと
 知り合いになりさらにその友人である大川さんと知り合いになれた。その上私の文学論を聞くのを楽しみにしていた
 だいている。また一緒にライヴコンサートをしようと言って下さる。まあ、とにかく私もお二人からいろんな
 情報や刺激を受けているわけですから、お互い様で今後ともよろしくお願いしますと言いたいですね」
「こちらこそ」
「ぼくも同じです」
「じゃあ、講義に入ります。「ディケンズの小説に登場する善良な人たち」としては、何人もの人が思い浮かぶかも
 しれません。スクルージ(クリスマス・キャロル)にしたって、心を入れかえて善良な人になったと考えられます。
 また、ピクウィック・クラブの4人のメンバーも善良な人と言えないことはありません。ですが、ディケンズの小説の
 登場人物で善良な人と言えば、やはりジョー(大いなる遺産)とミスタ・ペゴティ(デイヴィッド.コパフィールド)
 ということになると思います。例示は省略させていただきますが、この人たちの行動を見ているとなぜか愛着が湧き
 人を信じる気持ち、生きる希望なんかが甦って来る気がするのです。そうそう他に忘れてならないのが、ミスタ・
 ペゴティの妹でディヴィッドの乳母のペゴティ、この人も実に愛すべき善良なおばさんです。では、いつものように
 小説を読み上げることにしましょう。
 『石山は4週間続けて、金曜日の午後8時から◯川の河川敷で課長と特訓をしたが、課長からそれ以外にも課題を
 与えられていた。「君の周りにいる、善良な人をよく観察し、5つの特徴をあげるように」と。4回目の特訓を終えた
 ふたりはたまたま河川敷にやって来ていたラーメン屋の屋台に近寄りラーメンを注文した。「とりあえず、この特訓は
 終わりとしよう。ところでこの前の宿題の回答は出たかね」「課長、とりあえず考えましたので聞いて下さい。
 金がない、だから欲がわかない。仕事が忙しくない、だから時間に余裕がある。体面を気にしなくてよい」「君が
 言っているのは真理だが、もう少し他にはないのかな。例えば、人懐っこいとか懐かしいとか心のふるさととか
 頼りがいがあるとかあったかいとか...。だんだん腹が立って来た。そういうところが君は駄目なんだ。罰として、
 ラーメン代は君の負担だ」「えー」』」
「石山は、善良じゃあなかったのですか」
「それは、前にもお話しましたが、この小説は石山の成長を描くものなので、今は至らないところだらけです」
「なるほど」