プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生143」

小川はスーツ姿の大川と相川を見て、TシャツとGパンの自分だけが暇人のような気がして来るのを抑えるために
相川に先を促した。
「では、次は、「パロディー小説について」お話しましょう。パロディーというのは日本語に翻訳すると「もじり」という
 ことで、偉大な文学作品のエッセンスを取り入れて、別の優れた作品を作り出すことと考えるとよいでしょう。
 パロディー小説としてよく取り上げられるのが、「オデュッセイア」のパロディーと言われる「ユリシーズ」でしょう。
 オデュッセウスをブルーム、テレマコスをスティーブン、ペネロペイアをモリーに置き換え、ダブリンのある1日を描いて
 います。様々な文体を駆使し、特に最後のモリーの独白は意識の流れを文字にしたものですが、表記の仕方に度肝を抜かれる
 ことでしょう。このパロディー小説を書く際に問題となるのが、著作権の問題です。「ユリシーズ」はギリシアの古典をもとに
 したものなので著作権の問題は発生しなかったのかもしれませんが、パロディー小説の作家が十分にもとの作品に敬意を
 払わないでおもしろおかしい作品にすると軋轢が生じます。作品の内容を見ると、この「ユリシーズ」はかなり過激なところが
 あるので、「オデュッセイア」の作者がジョイスの同年代の人であれば、軋轢が生じていたかもしれません。またエッセンスを
 取り入れて、別の優れた作品を作ると言うプロセスを飛ばしてそのまま作品に取り入れると盗作ということになります。また
 パロディーというのは模倣から始まることでありオリジナルを越えることは難しいので、ジョイスのようにギリシャ古典などの
 大昔の作品をもととするか、その作者に心からの敬意を払い作品の素晴らしい点を讃えることで作者に共感を得ていただく
 ようにするのが残された道のような気がします。それでは、いつものように私の小説を読むことにしましょう。
 『石山は課長に自分の考え方が間違っていると叱られたので、自分の考えをすべて打っちゃって課長の考えを全面的に支持
 しようと考えた。駅まで課長と一緒に行ったが、送って行くとすぐに河川敷に戻って自分の考えを整理した。「課長は、善良な
 人には人懐っこいとか懐かしいとか心のふるさととか頼りがいがあるとかあったかいとかいうものがある」と言っていたなあ。
 懐かしいとか心のふるさとというのはもっと年配の人に対して抱く感情だから、ぼくとしては、人懐っこいとか頼りがいがある
 とかあったかいというのを目指すべきだろう。と言っても、このような感情を抱いてもらうためには何をすればいいんだろう。
 人懐っこいという言葉の人は省略してもいいから、ここは単になつっこいといってもいいわけだ。これでたよりがいやあった
 かいと同じように5文字になったわけだ。これをそれぞれ反対から読んでみよう「いこっつな」「いがりよた」「いかあった」
 じゃなかった、「いかたっあ」やはり青空球児のマネをしても問題は解決しないな。ぶつぶつぶつ。「石山君、おい、聞こえるか。
 ねえ、石山君」「ああ、課長、どうされたんですか、さっきの電車に乗られたんでは...」「確かに乗ったが、心配になって
 戻って来たんだよ。どうも君の考え方が」「どうなんですか」「ハレー彗星のように大きく地球の軌道から外れてしまって、
 放っておくと75年くらい経たないと戻って来ない気がしたんだ」「......」「いいかい、君くらいの年齢の時は恋に悩むのは
 当たり前だ。だが君の場合、エネルギーがものすごいというのはわかるが、うまくいくような気がしないんだ。さっきやっていた
 特訓も君が1時間続けて愛の言葉を叫ばれるようになったからこれ以上必要ないと思ったが、それでどうなんだとしか思えない」
 「そんなー、じゃあ、どうすればいいんですか。特訓の成果があがりそうなので、今度の日曜日にそっちにお邪魔しますと
 昨日俊子さんに手紙を送ったんですよ」「よし、それじゃー、特訓の成果が促進されるように私は君の横でトランペットを
 吹いて上げよう」「わあー、それなら完璧ですね」』」
「そうですか。これでは、大団円とはならないような気がしますが...」
「まあ、そこまで熱心に聞いていただけたのなら、私にとっては小説を書いた苦労が報われたと言えますね」