プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生144」
小川と大川はこのような時間がもうやって来ないと思うと名残惜しくていつまでも相川の顔を見ていたが、
ここらが潮時と思い相川に先を促した。
「あと2つですね」
「そうです。では、「大衆作家アレクサンドル・デュマ」という演題でお話しします。小川さんは彼の作品を
読まれたことがありますか」
「「モンテ・クリスト伯」は読んだことがあります。あと、「ダルタニャン物語」は購入しているのですが、なかなか
読む機会がなくて。文庫本ですが、11巻もあるものですから」
「私は一時彼の作品に熱中していたのですが、そう小川さんが興味を持たれた2つの作品を読んだまではよかったのですが、
その後に読んだ、「黒いチューリップ」「王妃の首飾り」「赤い館の騎士」「王妃マルゴ」の中に凄惨な場面が多数
出て来て、読み続けることが辛くなったのです。特に「赤い館の騎士」の最後の場面や「王妃マルゴ」後半は
恐ろしくて夜中にトイレに行けなくなったくらいです。もちろんそんなことはありませんが、でも...。まあ、興味が
ありましたら、読んでいただいてもいいのですが覚悟が必要だと思います。デュマの11才年下のディケンズは
そのあたりのことはどうなっているでしょうか。「バーナビー・ラッジ」「二都物語」はそれぞれゴードン騒乱、
フランス革命を描いた歴史小説で凄惨な場面が全くないとは言えませんが、読んでいて辛いと思ったことはありません。
デュマのようにサービス精神が旺盛な作家は大衆に受けるかもしれませんが、私個人の感想ではなにもそこまで
しなくてもと言いたくなります。さあいつもの私の小説では、大衆受けするような大袈裟な仕掛けを入れてみることに
しましょう。
『石山が俊子と会う約束をしたその日の正午に、石山は課長と共にふるさとの空港に降り立った。しかし...。
「課長、どうされたんですか」「し、しまった。財布を飛行機の中に置き忘れて来てしまった。財布の中には
銀行のカードなんかも入っているんだ。今、一文無しなんだが、お金の余裕はあるのかな」「もちろんありません」
「うーむ、聞くだけ無駄だったか」「それに課長がタクシー代を出してくれると言われていたので、3,000円の
タクシー代は用意してきませんでした」「時間はあるのかな」「約束の時間まであと30分です」「で、ここから
どのくらい」「5キロくらいでしょうか」「いろいろ説明するのはやめよう。とにかく君は短パンにはきかえて目的地まで
全力疾走で行くんだ。わかったね。私は飛行機に戻って財布を探してもらうことにする」「はい、わかりました」「じゃあ、
気をつけて」石山は長距離走には自信があったが、短パンにはきかえるわけにいかず革靴で5キロの道のりを炎天下の中
走り続けた。運悪く途中で靴の紐が切れたり、前のところがぱっくり空いたりしたので、石山は靴を脱ぎ捨てて
火傷も恐れずにアスファルトの上を走り続けた。ようやく待ち合わせの喫茶店にあと1キロという時に後ろから声がした。
「もう少しだ。頑張れ」後ろを見るとタクシーに乗った課長が、激励の言葉を掛けているのがわかった。石山にとって
課長の励ましはありがたかったが、残り1キロを走るのではなくタクシーに同乗させてもらえればもっと有難いのにと
思った。しかし課長に石山の思いはとどかず、タクシーは横を通り抜けて先に行ってしまった。それから7、8分して
石山は目的地に着いた。駅前の100円ショップでゴム草履を購入すると履いてみたが、それは着地するごとにプウプウ
かわいらしい音がする。子供用のものだった。「こ、これしかないの」「生憎、これしかないんです。やめときますか」
「石山君、靴は買っているから、これを履きたまえ。彼女もお待ちかねだよ」「はあはあはあ、そ、そうですか。でも、
間に合って、よかったです」』」
「でも、どうなるんですか。ふたりは」
「まあまあ、もうすぐわかりますから」