プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生5」
小川は、大学を卒業して会社勤めをしていた。勤務地が東京でディケンズ先生と出会った、
大学図書館、梅田の紀伊国屋書店、阪急電車から離れてしまったためか、その後、ディケンズ
先生と話す機会がなかった。就職して1年が経過し生活も落ち着いて来たので、以前、
ディケンズ先生が、古本屋に行けば、今までに刊行された自分の著作の古書があると言って
いたのを思い出し、神田の古書店を巡ってみることにした。
「前から欲しかった、ダルタニャン物語全11巻を小宮山書店で購入したけど、あそこには
ディケンズ先生の古書はなかったな。他に西洋文学の古書を取り扱っているところがないか
尋ねたら、この神田古書店地図帖をくれたけど...。この風光書房というところに行ってみよう」
「ディケンズ先生の古書を探しているのですが...」
「ああ、それなら三笠書房の「骨董屋」、岩波文庫の「爐邊のこほろぎ」があります」
「ここには初めて来たんですが、ディケンズ先生の本はよく取り扱われるのですか」
「ディケンズ先生...。そうですね、たまに入りますね」
「店長さんは、西洋文学に興味をお持ちですか」
「もちろんわたしも西洋文学全般に興味がありますが、やはり一番好きなのは、
シュティフターですね」
「ああシュティフターなら、「晩夏」を呼んだことがあります。オーストリアの作家ですね。
それじゃぁ、今日は「骨董屋」と「爐邊のこほろぎ」をいただいて帰るとして、またお伺い
することにします」
「どうぞどうぞ、お待ちしています」
その夜、枕元に風光書房で購入した「骨董屋」と「爐邊のこほろぎ」を置いて寝ると夢の中に
ディケンズ先生が現れた。
「小川君、久しぶりだね。私が以前、古書店を訪ねると私と出会えると言っていたので、神田の古書街に
行ったのだと思うが...」
「そうです。その甲斐がありました。でも、確かに先生にお会いできましたが...」
「何だね...」
「今までの先生の登場と違って、センセーショナルでないのが、少し残念です」
「うーむ、君も感覚が肥えて来たな。でも、些細なことにでも心を動かされる新鮮な感覚は忘れないで
いてほしいな。ではまた」
そう言ってディケンズ先生は窓を開けると、ロケットのように飛び去った。