プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生145」

小川はしばらく相川が話し出すのを待っていたが、何も言わないので声を掛けた。
「どうしたんですか。身体の具合でも...」
「まあ、もう少しお待ち下さい。ここに1部だけ用意したんですが、相川訳の「ドンビー父子」を友情の印として
 小川さんにお渡ししましょう。この作品は原書で一度読んだことがあるのですが、新訳が出るのを首を長くして
 待っておられる小川さんのために上巻の第16章まで訳してみました。これで小川さんの不満を少しでも解消
 できればうれしいのですが...」
「わざわざ私のために」
「ただ、訳してワープロ打ちしただけのものなので、どうしようか迷ったのです。何年かして帰国した時にも
 覚えておいてもらえるように、何か記念になるものを小川さんに差し上げておこうと考えたんです。よろしければ、
 お暇な時にお読み下さい。では、「今の時代にこそディケンズ」のお話を始めることにしましょう。以前にも
 お話したことがありますが、ディケンズの作品は安心して読めます。それはどの作品にもたくさんの興味深い
 登場人物が出て来て、設定された場面で興味深い会話を交わします。私は昔からディケンズの小説に馴染んで
 来たので、何を考えているのかわからない不誠実な登場人物が出て来たり、悪党ばかりが出て来たり、噛み合ない
 上滑りする会話が続いたりすると途中で本を閉じて別の本を読み始めることになります。昔は1冊の本を読み
 終えることができないとすごい劣等感に襲われたりしましたが、今は人それぞれ体験して来たものは違うのだし
 自分がまったく体験したことがないような生活を見せられてどう思うかと言われても当惑するだけなので、
 受け入れることができないものについては無理して取り込まなくてもいいと思うようになりました。そうすると
 選択肢は限られることになり読書により何を得るかが問題となると思いますが、心を豊かにし心の底から感動
 できるような小説を選んで読むことがいいと思います。若い頃はとにかく名著をたくさん読むことで裾野を広げる
 ことができると思うのですが、30才を過ぎたら量から質への転換を図って自分に合った作家の本を深く掘り下げて
 読んで行けばいいと思います。先行き不透明なことが多い今の時代に先を照らしてくれる行灯のような小説と言えば、
 やはりディケンズのいくつかの小説だと思います。ということで最後は、やはり「大いなる遺産」の最後のシーンと
 だぶらせて私の小説を完結したいと思います。
 『課長と石山が喫茶店に入ると、そこにははじめて会った頃と同じように憧れに満ちた瞳の俊子がいた。課長は、
  「演芸が必要になったら、近くにいるから呼んでくれ」と言って姿を暗ました。ふたりはしばらく下を向いて
  自分の握りこぶしを見つめていたが、石山がさりげなく話を始めた。「今日は、ぼくのために時間を作ってくれて
  ありがとう。ぼくはこうして君といるだけで幸福なんだけど、少し話をしてもいいかな」「ええ」「......」
  「どうしたの、何か話して」「ごめん、ここだと周りの人が耳をそばだてているような気がして、告白できない」
  「えっ」「昔、よくふたりで行った君の家の近くの空き地に行かないか」「そうね、それもいいかもしれない」
  ふたりは、俺も連れて行けと追いかけて来た課長を振り切ってタクシーに乗った。空き地につくと、ふたりは両手を
  上げて伸びをして笑顔を交わした。「何年ぶりかしら、ここにくるの」「近くここが住宅地に変わるって聞いたから、
  もう一度、君と来てみたかったんだ。どうしたの」斜め後ろからでなかなか気付かなかったが、俊子の目には
  涙が溢れていた。「いいえ、なんにも」「考えてみれば、こういうシチュエーションというのがぼくたちに合って
  いるのかもしれない。何にもないところに来てすることといえば、こうして手を握って話すしかないけれど、
  それだからこそ言葉のひとつひとつがしみ込んで来る」「そうね、でも今日はもう少し話をしたいから、家に来て...」
  そうして石山と俊子は空き地を出たが、ふたりに再度の別離を暗示するようなものは微塵もなかったのであった』」
「どうしたんですか、小川さん、ハンカチで目頭を押さえたりなんかして」
「やっぱり、ハッピーエンドでしたね。ほんとによかった」