プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生7」

小川は、最近、土曜日の早朝を自宅の近くの喫茶店で過ごすことが多くなった。
古本屋で購入した本を読むためだった。平日は遅くまで会社で仕事をしているし 、
休みの日は家事をしたり、彼の趣味の東京の下町散歩で忙しかった。そこで小川が
考えたのが、朝の6時から営業している喫茶店で土曜日の朝に2時間読書すること
を習慣付けようというものだった。
それでも前日の夜遅くまで仕事をするので、喫茶店に入りレモンティーを注文して
しばらく本を読んでいると、心地よいソファの上で夢の世界へと入ることが多かった。
その日も、ディケンズの「リトル・ドリット」の上巻のチャプター28「誰でもない
人が消滅する」のところを読み終えたところで眠りに入った。

小説では、アーサー・クレナムが美しい自然の中で最愛の人ミニーと偶然に出会い、
最愛の人のことを思って別れを告げるところがあり、チャプターの最後のところで
水面に揺蕩う薔薇の花が自分の届かないところに行ってしまう場面では、小川も
自分の現状と照らし合わせてうっすらと涙を浮かべたりしていた。
夢の中の小川も両手で温めていた薔薇の花を川に流そうとしていた。小川が薔薇を
水面に浮かべ、しばらくそれを眺めていると丁度葦が密集していて見えなかった
ところから、ボートに乗った、黒い服を着た、口の周りに髭がある男性が現れた。
男性は、「やっと、私の出番だ。陽気に行きましょう」と歌いながら現れた。
「ディケンズ先生、何をされているんですか」
「やあ、小川君じゃないか。君こそ何をしているんだ。正月休みに京都に帰った
時に彼女と再会したというのにまた悲観的なことを考えているね。私は君のそういう
ところが好きなんだが、今回は君に勇気を持って行動せよと言いたい。たとえば、
今私が乗っているボートのように水が浸水して、二進も三進も行かなくなっても、
心ある女性なら君の気持ちを理解してくれるよ。では、また」

小川が眼を覚ましてテーブルの向い側を見ると、正月に一緒に初詣に出掛けた女性が
にっこりとほほえんだ。