プチ小説「たこちゃんの第九」
シンフォニー、シンフォニーア、シンフォニーというのは交響曲のことだけど、ぼくはベートヴェンの交響曲がとても
好きで、就中、第9番「合唱」は古今東西、あらゆるクラシック音楽の中で最も好きな曲なんだ。みんなが興味をもって
聴くのは、あの有名な旋律のある終楽章だけれど、ぼくは他の楽章もすばらしいと思っている。とくに第3楽章のしっとり
とした弦楽合奏は何度聴いても涙がにじんで来て思わずいい年をして、「うーん、とてもいい」と唸ってしまうんだ。
第1楽章の最初のところも、第2楽章の切れ味鋭い旋律もすばらしいし60分から75分かかる演奏時間も苦にならない。
第九は生演奏がいいということで、朝比奈隆指揮大阪フィルの演奏も聞いたこともある(シンフォニーホールではなくて
フェステバルホールでの演奏会だったが)が、やはりレコードが自宅でゆっくり聴けるので今では専らレコードで第九を
楽しんでいる。第九の演奏はフルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団のアナログ盤で聴くのが、自分の性に合って
いると思う。それをもっと良い音で聴きたいと思って、東京の名曲喫茶ライオンやヴィオロンに持ち込んで掛けてもらった
ことがある。この演奏が余りにすばらしい演奏なので、ある年の大晦日に名曲喫茶ライオンに自慢のパテ盤
(フランス盤で音が良い)を持って行き、奥さんに、「今年はこのレコードを掛けて下さい」と頼んだところ、奥さんは、
「同じ演奏の日本盤のレコードを昔からずっと掛けているので、音が違うとだめなの」と言われた。レコードは何も舶来の
プレミアム盤が良いというわけではないようで、風光書房の店主もやはりフルトヴェングラーの「運命」のエテルナ盤
(
東ドイツ盤)を聴かれて、日本盤に限るとおっしゃっていた。音というのは長年聞き慣れた音が一番いいようで、
ぼくもクラシック音楽を聴き始めた頃、少し回転数の早いプレーヤーでチャイコフスキーの交響曲第5番のストコフスキーの
レコードを毎日のように聴いていたので、性能の良い装置で同じレコードを聴いてもなにか物足りない気がする。回転速度を
調整できるプレーヤーを購入して、回転の速さを調節してクラシックを聴き始めた頃のレコードを聴くということは、昔に
タイムスリップしてその頃の友人の話を聞くのと同じような気がするので、やってみる価値は充分あるような気がする。
駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は、第九の演奏会で合唱に加わると言っていたが、その後どうなったの
だろうか。そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ、ブエノスディアス トラバハーモスパラビビール」
「確かにぼくたちは働いているからこそ、お金と時間を掛けて、趣味にのめり込むことができるんですよね」「あんたも
そう思うやろ。わしはスポーツ紙がガイドブックとなる趣味の多くに加えて、合唱を始めた。12月の演奏会にはええ感じで
歌えそうやが、これはひとえにあんたのおかげやと思っとる。礼を言うとくで、ほんまにおおきに。ところであんたも
息抜きになる趣味を持っとるんちゃうか」「ええ、もちろん。クラシック音楽を聴くのはもちろん好きですが、どうしても自分で
楽器演奏がしたくて、2年半前からクラリネットを習っています。今年は行けなかったのですが、夏に1度は北アルプスの
槍・穂高の縦走を目指して登山をします。写真はライカで風景写真を撮っていますが、数年前に購入した(もちろん中古です)
21ミリのレンズの使い勝手がよく一時京都のお寺の写真を毎週のように撮りに行ったものです。10年前からホームページを
始めたのですが、クラシック音楽についてのエッセイだけでは物足りなくなって、登山の体験記を書くようになりました。
以前から19世紀以降のヨーロッパ文学が好きだったので、その読書感想文を掲載するようになりましたが、たくさん面白い
作品を読んでいると...」「あんたなあ、ええかげんにしときや。そんなにようけ趣味を持ってたら、仕事してる間ないんと
ちゃうん。さっきも言うたけど、生きて行くためには働かなあかんの。それ忘れたらあかんよ。えーっと、えーっと」
「どうしたんですか、鼻田さん」「わし、あんたの名前訊いたことあったかいな」「いいえ、名乗ったことはありませんね。
ぼくは、船場弘章というんです。あだ名は、鼻田さんと同じでたこちゃんです」「そうかいな、たこちゃんか。そうやなあ、
わしら、たこみたいでこれといって取り得ないもんな。......。ほっといてんか。ちゃんちゃん」そう言って、もう少し
しゃべりたかったのに勝手にオチをつけてしまったんだ。ぶつぶつぶつ...。