プチ小説「たこちゃんの出版」
グレートライター、グランエスクリトール、グロセールディヒターというのは文豪のことだけど、ぼくは、大学生の頃から
偉大な小説家の作品をたくさん読んで来た。といっても西洋かぶれのぼくはどうしても翻訳物、つまり外国の作家の作品に
眼が行ってしまうんだ。日本の作家にはたくさん文豪と言われる人がいるけど、外国で文豪というのがぴったりとあてはまるのは
ディケンズ、セルバンテス、ゲーテ、ユーゴくらいだろうか。といっても、セルバンテス、ゲーテ、ユーゴの有名な作品としては
「ドン・キホーテ」「ファウスト」「レ・ミゼラブル」で、ディケンズほどたくさん翻訳物が出版されていない。そういうわけで
中年になって何か楽しくてためになることをしようと考えたぼくは、文豪ディケンズの長編小説をすべて読むことを決めたんだ。
3年程かけてその目標を達したけれど、ディケンズの小説を読めば読む程、登場人物やそういった人物を創造したディケンズの
人柄に好感を持つようになり、ついにここに至れりという感じで、ディケンズ本人が自分の小説についてコメントするという
小説をぼくが書けば面白いんじゃないかと思うようになった。それでももうすぐ生誕200年になるディケンズをどうやって
自分が書く小説の登場人物にするかについては、あれこれ考えた。本物のディケンズを登場させるのであれば、彼のことを
よく知っておく必要があり迂闊なことは言えなくなってしまう。また彼を取り巻く環境や家族についてもよく調べておかなければ、
研究者の方々から鋭い指摘を受けタジタジになってしまう恐れもある。そこで考えたのが、主人公の夢の中に
ディケンズ先生が出て来てコメントするというのだが、これだと主人公の脳の住人で、主人公の考えも反映されるとの理由で
批判を躱すこともできるし、何より有難いのは、帰って行く家や家族のことを考えずに彼の言動だけを楽しみながら
書けばよかった。A4サイズの紙1枚に収まるくらいの量の小説を1話完結のようにして書き続けて行き、まとまった量に
なったところで出版社に送ってみた。縁があって出版することができたが、新参者がすぐに活躍できるような甘い世界ではない
ということはよくわかっているので、襟を正して立ち向かわなければいけないと決意を新たにしている。駅前で客待ちをしている
スキンヘッドのタクシー運転手にぼくの出版のことを話そうとしたところ、この前は腰を折られてしまった。今日は聞いて
くれるだろうか。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス ビバウステムチョアニョス」「ぼくは健康には自信があるから
大丈夫ですが、鼻田さんも元気で長生きして下さい」「そうやな、お互いにな。ところで船場はん、あんたこの前、なんか
言いかけてたんとちゃうか。たくさん本を読んでいたら、どうとか」「ああ、そのことですか。実は...」「どないしたんや。
いつもぺらぺらようしゃべる船場はんとは別人みたいやで」「実は...」「そうか、話にくいんやったら
、別に話さんでも
ええんやで」「いいえ、そんなことはありません」「ほんなら、あんたが本を出したという話を聞かせてーや。はよして」
「なんで、そ、それを知ってるんですか」「いや、そこの喫茶店で店員の女の人に聞いたんや。本を買うたと言うてたし
チラシも見せてもろたし。チラシ持ってんねんやったら、1枚くれへんか。おお、これかいな。「こんにちは、ディケンズ先生」
船場弘章著(近代文藝社刊)か」「そうなんです。でも、まだまだなんですよ。何かいい方法はないですかね」「そうやなー、
こういうことは地道にやらんとあかんと思うでえ。そやからへたな近道を考えるより、時が来るのを待つのが、ええんとちゃう。
そうやなー、売れだしたら、徹夜で書かんとあかんようになるかもしれへんから、今のうちに身体を鍛えておいた方がええかも
しれへんな。そうや、前にしたことがある、リヤカーごっこやうさぎ跳びをするんやったら、つき合うでぇー」そう言って、
足を掴もうとしたので、慌てて逃げ出したのだった。ぶつぶつぶつ...。