プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生176」

午後8時過ぎに小川たちが帰宅すると桃香が玄関口で心配そうな顔をして話し始めた。
「さっきアユミ先生が家に来られたの。アユミ先生は、ご主人が腹筋を痛めたので今度の日曜日は自分が出席する
 と言われていたわ。はっきりと聞かなかったけれど、今度の集まりで大きな声で歌えるようにといつもより...」
「いつもの3倍の時間を掛けて腹筋をしたというのかい」
「いいえ、それだったらまだよかったんだけれど、お仕事が忙しいので同じ時間で3倍の腹筋をされていたらしいの」
「そ、それは、合理的な考え方と言えるかもしれないけれど...。で、ご主人は...」
「お医者さんに診てもらったら、しばらくは無理しないで安静にしていた方がよいと言われたようで、今度の
 日曜日は自粛したいので代わりに出てくれとアユミ先生に言われたようよ」
「そうか、それはよかった」
「.....。その一言はもう一言言ってからの方が...。こんなふうに、「けれど、アユミ先生は気にしなくても大丈夫よ
 と言われていたわ」」
「そうか、それはよかった」

4人がテーブルにつくと秋子が話し始めた。
「でも、今度の集まりは賑やかになるでしょうね。アユミさん、相川さん、深美のピアノ、おとうさんと私のクラリネット
 それから桃香のヴァイオリン。私は今日楽器店で深美に聴いてもらったので...」
「おかあさん、そんなこと言わないで」
「まあ、3人そろって手を合わせてどうしたの。だってせっかく相川さんが演奏して下さるんだし、深美が成長した
 姿を見るのとこのふたつが中心に来るので、アユミさんや桃香、おとうさんと私は脇役なの。時間が限られているし
 有効に使わないと」
「そうだね。予定では、相川さんにショパンの曲を30分、深美にベートヴェンとモーツァルトの曲を1時間、
 他のメンバーで残り1時間と考えているけれどせっかくアユミさんが来てくれるのだから30分くらいは割り当てないと
 桃香もお姉さんの前で演奏したいだろうし...。だから、おとうさんとおかあさんは最後に少しだけ演奏させてもらうよ」
「わかったわ。本当に今度の日曜日が楽しみだわ」

小川が書斎で布団を敷いて横になると、しばらくしてディケンズ先生が夢の中に現れた。
「深美ちゃんが帰って来て、賑やかにやっているね。こういうのが至福の時というのだろう。深美ちゃんがロンドンに帰る
 までのわずかの時間だが、楽しむといいよ」
「そうします。でもそれまでの3日はしっかり仕事をしないといけないので大変です」
「まあ、孤独に戦っているわけではないのだから、頑張れると思うよ。きっと秋子さんも思いやりのあるところを...。そうだ、
 私から小川君にお願いしたいことがあるのだが...」
「リクエストですか」
「そうなんだ。前にもリクエストしたことがある、「春の日の花と輝く」なんだが...」
「でもそれは、女性から男性にとこしえに私を愛して下さいと言うメッセージではないのですか」
「まあ、そこを君の雄弁術で一家の主から家族に対しての愛情溢れたメッセージにしてほしいわけだ。歌は歌詞によって
 伝えることが限定されるが、インストゥルメンタルの曲はメッセージが出ない。曲の前にこういった気持ちを込めて演奏
 すると言えばそれが自分の伝えたいメッセージになるわけだ」
「なるほど、よくわかりました。やってみます」