プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生178」
相川は演奏を終えるとピアノの横に立ち深美に、 こっちに来てと呼び寄せた。
「本当にしばらく見ないうちに立派な演奏家になって。今度会うときはどうなっているんだろう」
「さあ、それは。でも、相川さんのような素敵な男性を見つけて...」
「ははは、そこは、おとうさんのようなと言わなければ...」
「それより、深美、相川さんにお礼を言っておかないと駄目だよ」
「そうだわ、私は、ここにおられる、アユミ先生、相川さんには本当にお世話になりました。こうして好きな
音楽を続けられるのもアユミ先生、相川さんそして私の家族をはじめたくさんの方々の物心両面のご支援の
おかげであると思っています。不束な娘ですが、今後とも皆様方のご支援を受けて精一杯頑張って行きたい
と思っています。よろしくお願いします」
「それでは、早速、お聴きいただきましょう。リスト編曲のピアノ版ベートーヴェンの田園交響曲とモーツァルトの
ピアノ協奏曲第11番「トルコ行進曲付き」を続けてどうぞ」
<このリストの編曲は、グレン・グールドが第1楽章だけを演奏したレコードもあるけど、シプリアン・カツァリスが
録音した全曲盤の方をよく聴いたな。そう言えば、深美はなぜかこのレコードを掛けてくれとしばしばせがんでいたっけ。
モーツァルトやベートーヴェンのソナタのようにオーソドックスな曲だけでなく、このような超絶技巧を必要とする
難曲を軽快に弾きこなせるのだから...。でも、高校生でこのレベルに達したら次は何を目指すのだろう>
自分の出番を終えた深美が小川のところにやって来た。
「おとうさん、どうだった」
「すごくよかった。でも...」
「どうしたの」
「ベートーヴェン、モーツァルトのソナタを美しく弾いて、しかも超絶技巧の曲も難なく弾ける。この上何をする必要が...」
「そうかしら、まあそれは、アユミ先生の演奏を聴けば、自然とわかって来るんじゃないかしら」
「......」
「うーん、何となしにわかって来た気がする」
「今から私が言うことは蛇足に過ぎないけど、要は音楽は長い年月を掛けて磨き上げられた物がすばらしいということ。
私のように音楽学校に通う人たちは音楽理論や奏法を身につけようとしてがんばり、才能がある人は栄誉を与えられたりする。
でも本当はそこからどれだけ成長できるかなの。学校で身に付けたものをそのまま演奏しただけでは決して面白いものに
ならないということを私は経験して知っているの。だから自分の演奏を興味深いものにするために自分で考えないといけない。
方法としては、さらに音楽理論を深めて行く、聴衆の反応を参考にしながら自分の音楽を極めて行く、家族との語らいの中で
地味であるけれども少しずつ自分の好きな音楽を作って行くというのがあるけれど、いずれの場合も時間がかかることに
違いはないわ。私はこれから1番目から2番目に移行するんだけれど、おかあさんは一貫して3番ね。でもおかあさんの
方法もすばらしいと思うわ」
「そうだね。アユミさんの演奏が終わったから、桃香の演奏だな。どんな演奏になるか楽しみだな」
「そうね」