プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生180」

深美を空港で見送り帰宅したばかりの3人のところにアユミの夫が訪ねて来た。
「今日は行けなくて残念でした。でも、来年こそは...」
「そうですね。深美が、毎年帰って来ると言ってくれたんで、私たち家族も一安心というところです。来年こそは
 私たちの音楽会にご参加下さい」
「そうですね。その時はアユミと共に参加させていただこうと思います。ところで、さっきアユミが話していたんですが、
 小川さんは仕事で疲れていたのか、相川さんの演奏が始まってすぐに居眠りを始めた。やさしく起こしてあげようかと
 思っていたところ、顔を上げて音楽を聞き出した。それで思いとどまったと」
「そ、それでは、あの時にもしあと10秒顔を上げないでいたら」
「そうですね、その場合、アユミはすばやく小川さんのそばに駆寄り、天井に投げるかパンチの嵐を浴びせたでしょう。
 アユミは音楽を神聖なものと考えていて、襟を正して静聴するべき時にそうしない人は許さないと日頃から言っています」
「......」
「まあ、それはさておき、次の次の日曜日には相川さんと一緒に小川さんの小説を拝聴するわけですが、準備は進んでいますか」
「そ、それは...」
「まさか全然書いていないと言うんじゃあないでしょうね。今日のことに加えて小説が書けなかったということになると
 アユミも黙っていないと思います。そうそうアユミが、小川さんが自分の小説を朗読するのを是非聴きたいと言ったので
 この前相川さんにそのことを伝えたところ、いいですよと言っていたので今度の集まりに連れて行くつもりです」
「えっーーーーー。それだけは...」
「今から言われることは、アユミにそのまま伝えます。それだけは...」
「それだけは、とても楽しみだなぁ」
「うーん、少し変ですが、そのまま伝えることにします」

小川は書斎で布団を敷いたが、すぐに寝付けなかった。
<土曜日に休日出勤して深夜まで仕事をしたので、明日からはいつものペースで仕事をすればいいんだが、小説を書くことを
 忘れていた。どうしようか。相川さんが指導して下さるのに、準備していませんというのも失礼だし、アユミさんを激怒
 させたくないし...。心配だな。でもなんとかなるだろう。すやすやすや>
眠りにつくとすぐにディケンズ先生が現れた。
「やあ、小川君、今度の集まりが楽しみだね。どんな小説を書くか決めたのかな」
「先生、実のところ、困り果てているのです。先生のようにペン先から文字が迸るように小説が書ければいいんですが...」
「誰がそんなことを言っているのかな、小説が容易く書けるなんて。ところで小川君の場合も自分の体験に基づいた小説を書くか、
 それまでに読んだ小説を自分の中で消化して文にするかどちらかになると思うが、今から本をたくさん読んで消化し独創的な
 小説を作るには時間が足りないと考えると取るべき道が見えて来るだろう。中学生の頃のことを書くと決めたのだから、まあ、
 自分の中学生、高校生の頃の辛かったことを思い出して文章にし、そこに小川君らしさを出せば、小川君の書きたいシリアスな
 小説ができるんじゃあないのかな。まあ今度の日曜日は家族の許しを得て1日中机に向かっているといいよ。そうすれば...」
「そうですか、でも、ぼくは、「春の日の光と輝く」を演奏したので...、先生からのプレゼントを期待していたのですが...」
「そうだったね。でも、とりあえずは、小川君がどうするかを見てみたい。プレゼントはそれからだ。天才ではないのだから、
 最初からうまくいかないさ。君の汗が感じられる小説なら、アユミさんも耳を傾けてくれることだろう」
「......」