プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生182」
小川、大川、アユミは相川の次の言葉を待っていたが、なかなか話さないので小川が促した。
「相川さんはぼくの小説にもう少しコメントをしようと思われているのでしょうが、先程のお言葉で
ぼくとしては十分に思います。なにせぼくが一回小説を読み上げるだけでその印象を語るわけですから、
非常に難しいことを無理にやってもらっていると思います。次回からは早いめに仕上げてこの会の
1週間くらい前には予め原稿を見てもらうよう相川さんのところへ原稿を送っておこうと思います。
どう思われます」
「そうですね、そうしていただけると、もう少しためになるコメントができるかもしれませんね」
「じゃあ、是非そうさせてください。で、次は相川さんの講義、「喜びも悲しみも味わい続けて幾星霜
小説っていいもんですね」を聞かせていただいていいですか」
「それじゃー、張り切って講義させていただくことにしましょう。今日は、「文学作品とオペラ」というタイトルで
お話をさせていただきます。ところで小川さん、オペラになった文学作品で有名なものを上げていただけますか」
「いいですよ。まずやはり思い浮かぶのは、シェイクスピアの戯曲ですね。ヴェルディの作品では「オテロ」「マクベス」
「ファルスタッフ」、グノーでは「ロメオとジュリエット」それから音楽劇としてはメンデルスゾーンの「真夏の
夜の夢」がありますね。それからヴェルディの「椿姫(ラ・トラヴィアータ)」は小デュマ(アレクサンドル・
デュマの息子)の小説を参考にしたもので大変有名ですね。ボーマルシェの戯曲は、モーツァルト「フィガロの結婚」、
ロッシーニの「セビリヤの理髪師」という素晴らしいオペラによって原作を遥かに凌ぐものになっていると思います。
モリエールの戯曲「ドン・ジュアン」はモーツァルトに霊感を与え、「ドン・ジョヴァンニ」というオペラを創作する
礎になったと考えられます。グノーの「ファウスト」(原作ゲーテ)、マスネの「ウェルテル」(原作ゲーテの
「若きウェルテルの悩み」)、R・シュトラウスの「サロメ」(原作ワイルド)他にギリシャ、ローマ時代の文学、
叙事詩や戯曲にインスパイアされて出来上がった作品がたくさんありますね」
「小川さん、それくらいにしないと相川さんが喋ることがなくなってしまいます。でもぼくからも一言、個人的に
ローマの詩人ウェルギリウスの作品に興味があるので、モンテヴェルディ「オルフェオ」、グルック「オルフェオと
エウリディーチェ」、ベルリオーズ「トロイ人」、パーセル「ディドとエネアス」なんかも聴いてみたいな。ぐえっ」
「あなた、そんな本筋と関係がないことを言っていると時間がもったいないでしょ」
「そ、そうですね。では本筋に入らせていただきます。まあ小川さんから説明があったオペラの原作を見渡してみられると
わかると思いますが、やはり戯曲のほうが小説よりオペラの原作にし易いようです。まあ考えてみれば、長編小説には
いくつもの見せ場がありそれをすべてオペラに盛り込もうとすれば、膨大なものになるでしょう。例えばディケンズの
「大いなる遺産」をオペラにすることができたとしたら、「ニーベルングの指輪」よりも長大な、すべて上演するのに
1週間かかるグランドオペラになるかもしれません。ディケンズの作品は、「ピクウィック・クラブ」「二都物語」
「オリヴァ・ツイスト」がミュージカルになっているようですが、中編小説といえる「クリスマス・キャロル」の
ミュージカル(1970年イギリス映画)が唯一ディケンズの心情をうまく言い表せているもののように私は思います。
といっても、「ピクウィック・クラブ」と「二都物語」は憶測に過ぎないのですが...。オペラにするのに向いている作品と
そうでない作品があり長編小説はそれには向いていないということがおわかりいただけたと思いますが、もうひとつ
ディケンズの小説がオペラに向かない理由があります。ディケンズの作品の多くは辛い時に心の糧にしてもらおうと
書かれたものなので、心にゆとりがある人たちが鑑賞するオペラの題材とするには難しいのかもしれません。極言すれば、
オペラを愛する人とディケンズ愛好家との間には少し距離があるのかもしれません。小川さんはどう思われますか」
「私は小説の楽しみ方は読者に委ねられているので、好きなように解釈すれば良いと思うのです。それからオペラの中にも
感動できる作品はたくさんありますし、ディケンズのいくつかの作品に見られるような心にしみ込む暖かさを感じること
ができる作品もたくさんあると思います」