プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生184」

夢の中でピクウィック氏が小川に、「ドンビー父子」を読まないとディケンズ先生は夢の中に現れないと
言った、その週の土曜日に小川は風光書房を訪ねてみることにした。店内に客がいなかったので小川はすぐに
店主に尋ねてみた。
「ないとは思うんですが、「ドンビー父子」や「ニコラス・ニクルビー」は置いてませんか」
「ああ、これは小川さん、お待ちしていました」
「ど、どういうことですか。それにその本は確か...」
「ええ、「ドンビー父子」ですよ。小川さんが驚くようなことをもうひとつ言いましょうか」
「まさか、あのピクウィック氏に似た人が持って来たとか言われるのでは...」
「そうなんですよ。この前、小川さんが来られた次の日に、つまり1日だけ手元に置かれただけで次の日には
 持って来られたのです」
「それなら、すぐに手紙ででも知らせてもらえたら有難かったのですが」
「そうしたかったのですが、その方のご希望でそのようにできなかったのです。「ドンビー父子」はいつも通りに
 買い取ってもらってよいが、店頭で希望された人に売って上げてほしいと言われたんです」
「そうか、それで連絡しなかったと...。でもあれから1ヶ月以上も経っているのに売れなかったというのは不思議ですね」
「まあ、ディケンズの熱狂的ファンで当店の顧客である小川さんに是非読んでいただきたいと思って人目に触れないように
 していたんです。でもピクウィック氏に似た人が言われたように、店頭で希望された方には販売しようと思っていました」
「よく考えると不可解なところもあるけれど、結果よければすべてよしとするか。でも、現実と夢の世界がリンクしている
 ようで自分がどうかなっているんじゃないかと思ってしまう」
「どうかされましたか、小川さん。眼が虚ろですよ」
「いや、ちょっと、マボロシを見てしまったような、そんな気分になったものだから」
「でもそれは、間近でピクウィック氏を見た衝撃よりは小さなものだと思いますよ」
「そうでしょうね」

その夜、小川が眠りにつくと夢の中にディケンズ先生が現れた。
「どうだい、長年探し求めていた、「ドンビー父子」を手にした感想というのは」
「それはもうこの上ない喜びなのですが......」
「どうかしたかい」
「いいえ、今読んでいる小説を読み終えたら、すぐに「ドンビー父子」を読もうと思っています。ですが...」
「きっと君は君の脳の住民であるはずのピクウィック氏が、風光書房を訪ねたと思っているんじゃないだろうね」
「まさか、そんなことはありえないと思ってはみるのですが...」
「世の中に容姿が似ている人物はたくさんいると思うよ。100万人に1人はそっくりな人物がいると言われて
 いるから、日本に小川君に似た人はざっと100人以上はいると考えられるのだから...」
「わかりました。このことはあまり深く考えないようにします。それよりひとつお断りしておきたいことがあるのです。
 会社のこと、家族のことを考えると今までみたいに自由な時間は取れないと思います。幸運にも、「ドンビー父子」
 を手に入れることができましたが、月にどれくらい手にすることができるかと言うと...」
「小川君、私は何も「ドンビー父子」を一刻も早く読み終えてほしいと思っているのではないことはわかってくれるだろう。
 私の本を楽しんで読んでくれさえすれば、1年掛かってもいいんだよ」