プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生185」

「ドンビー父子」を購入した翌朝、小川は枕元に置いてあったその本を開いてみた。
<何度か、図書館で手にしたことがあるが、古本とは言え自分の本としてじっくり読むことができるのは
 遅読のぼくには有難いことだ。この本はハードカバーで2巻、2段で2冊とも500ページ以上ある。
 160年以上前に書かれた小説だから理解しにくいことがたくさんあるけれど、ディケンズ先生の小説の
 多くは挿絵が入っているので本当に助かるなあ。挿絵は当時を理解する為の大きな手がかりになるんだ。
 さあ、そろそろ起きようか>

台所に行くと、桃香が自分でパンを焼いて食べていた。
「おとうさん、さっきお母さんが練習があるって言って外出したわ。今日は朝からだから、朝食と昼食はひとりで
 食べてねって...」
「お母さん、毎週のように練習があって大変だね。しかもだんだん長くなっていくようだな。午後から2時間だけ
 だったのが、今は昼ご飯をはさんで5時間以上練習するのだから。でも、メンバーはどうなったんだろう。
 男性が1人だけいるそうだけど...」
「管楽演奏の場合、弦楽四重奏のように固定のメンバーでたくさんの曲ができるわけではないのよ。
 その男性の楽器はフルートだから、共演の機会は少ないと思うわ。ファゴット、オーボエや
 ホルンなら一緒にやることが多いんだけど。●◯アンサンブルというグループを作っていろんな楽器編成に
 対応できるようにしたいみたい。だいたいそういったグループの中心になるのはクラリネット奏者で、
 お母さんが好きなメロス・アンサンブルも中心メンバーのひとりにクラリネット奏者のジェルヴァーズ
 ・ド・ペイエがいて、クラリネット中心の曲で素敵な音色を聴かせてくれるのよ」
「小学校4年生なのによく知っているね。そう言えば、桃香は最初クラリネットを習うつもりでいたけれど、
 ヴァイオリンに変えたんだったね。小さい頃、よくお母さんと一緒にド・ペイエのモーツァルトの
 クラリネット五重奏曲を聞いていたのを覚えているよ。お姉さんがピアノで頑張っていて、同じように
 自分も楽器を習いたい。できればお母さんと同じクラリネットをとその頃は思っていたんだろ」
「でも、そう思ったのが、小学生になったばかりだったの...。今なら指が届くけど、当時はふざけて
 左手だけで、ドドソソララソ...と吹いてみたりしていたけれど...」
「おかあさんは、桃香は最初からアンブシャーができていると言っていた...」
「でも、全部のキーに指が届かないと...。それで子供用の楽器があるヴァイオリンを始めたの」
「でも、上手になったね。この前お姉さんと一緒に演奏した時は、お母さんと聞き惚れていたんだよ」
「ありがとう。でも、普通サイズのヴァイオリンは始めたばかりだから、今のところ通して演奏できるのは、
 この前に演奏したベートーヴェンの「春」の第1楽章だけなの。無茶とわかっていたけれど、お姉さんと
 一緒にできると聞いたから、一所懸命練習したのよ」
「そうだ、この前に話が出たけれど、今度お姉さんが帰って来たらまたみんなで集まって演奏をするから、
 お父さんも練習しとかないといけないなぁ」
「ふふふ、お父さんは凝りだすと止まらないから、ほどほどにした方がいいわよ。仕事も忙しそうだし、
 小説も書かないといけないんでしょ。その分、私、頑張るから、ね」
「そんなこと言わないで、お父さんも輪の中に入れてくれないか」
「はいはい」