プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生187」

相川から手紙を受け取った翌日の夜、小川は帰宅するとすぐ夕食のテーブルにつき秋子に話し掛けた。
「昨日は帰宅が遅くなったので話さなかったけど、相川さんは検査の結果、異常なしだったようだよ」
「そう、それはよかったわ。これからもいろいろお世話になると思うから、お互い元気で交際を続けたいわね」
「ところでそのことを知ったのは手紙だったんだけれど、ここにあるから読んでみて」
「ええ、......。うふふ、へー、相川さんて、面白い方ね。でも、山登りについては、少し考えさせてほしいわ。
 練習は日曜日しかできないし、いつの間にか私がリーダーになってしまったから簡単に練習を休めないの」
「そうか、それは残念だな。ところで、今はどんなことをしているの」
「今はメンバーが揃いつつあって、練習に励んでいるとしか言えないわ。それぞれが昔の感覚を取り戻そうと
 一昔前に習った練習曲を納得できるまで練習しているという感じ。学校の人に交渉して、スタジオを
 ひとつ借りることはできたけど、5人でするには少し手狭な感じ。上手になったら、共演してくれると
 アユミさんは言ってくれているけれど、モーツァルトやベートーヴェンのピアノと管楽のための五重奏曲をするには、
 あと3年はかかるんじゃないかしら。まあそれまでは管楽器だけで充分練習しておくわ。
 弱音をはいてもしかたがないけど、音大で音楽教育を受けないでほとんど我流でやってきたから、音大出身の
 方達と話が合わない時がよくあるの。私は気分屋で大雑把だけれど、音大出身の人たちは緻密で完成度の高いものを
 求めているわ。だから結果を求める私とあるレベルに達しないと人前で演奏するべきでないと考えている
 人たちとは軋轢が生じるかもしれない。まとめ役を任せられたんだけれど、そのあたりをうまくやれるか
 ちょっと不安だわ」
「まあ、力になれるかどうかわからないけど、相談したいことがあったら...」
「ありがとう。そうだ忘れてた。さっきアユミさんとご主人が家に来て、午後9時頃までに小川さんが帰宅したら
 家に来て下さいと言われていたわ」
「じゃあ、ちょっとだけ顔を出して来るよ」

「こんばんは、小川です」
「やあ、お待ちしていました。上がりませんか」
「じゃあ、お邪魔します。アユミさん、こんばんは」
「まあ、小川さん、今お帰りなの」
「今日はまだ早い方ですね。いつも帰るのは午後10時を回っています。ところで何か」
「小川さんも相川さんの手紙を受け取られたと思うのですが...」
「高尾山に行くというお話ですね。30年ぶりに遠足に行くという感じでぼく自身は乗り気なんですが、生憎、
 秋子は日曜日はアンサンブルの練習に当てるので参加できないと言っています」
「ぼくの方もアユミが、半日くらいなら子供たちを近所の人に預かってもらえるけど、1日となると難しいと言ってます」
「じゃあ、奥さんの了解が得られれば、私たちだけで行きますか」
「そうですね、ちょっと訊いてみましょう。そういうわけで小川さんは、ぼくにに是非参加してほしいと言われて
 いるから...」
「そんなこと小川さん言ったかしら。私の了解が得られれば一緒に行こうと言われただけじゃない」
「そうだったかな。ほら、そんなことを言うから、小川さんが寂しそうな顔をしているじゃないか」
「ははは、ぼ、ぼくは別にどちらでもいいんですよ」
「それじゃー、やめとこうかな。でもなー、顔にはそう書いてあるんだが」
「ふたりとも気の使い過ぎじゃない。手紙に書いているように2ヶ月に1度くらいなら、なんとかなるわ。いってらっしゃい」