プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生190」

休日出勤で会社にいた小川に桃香から電話が入った。
「お父さん、今、病院からなんだけど、お母さんが体調を崩して...」
「で、どんな具合だい。大丈夫かい」
「先生が、お父さんにすぐに連絡しなさいと言われたから、電話をしたんだけれど、すぐに
 病院に...」
「よし、わかった。すぐ行くよ」

小川が病院に行くと待ち合いで秋子と桃香が話をしていた。
「もう、診察は終わったのかい」
「いいえ、これから点滴をしてもらうの。しばらくは安静にしていた方がいいって言われたの」
「入院は?」
「それは必要ないけれど、お母さん...」
「何かあったの」
「お母さん、今日も職場の人たちと練習をしようと準備をしていたら...」
「お父さんも桃香も心配しなくていいのよ。単なる過労だから。お母さん、少し張り切りすぎたみたい」
「前から気になっていたけれど、お母さんは平日はぼくと同じように働いている。帰宅すれば家事をしてからぼくの
 遅い帰宅を待っている。休日はたくさんのたまった家事をやり終えて、アンサンブルの練習をしている。
 いつ休みを取っているのかと思う。この前、夜中に和室の灯りがついていたからのぞいてみたら、お母さんは
 布団の上で楽譜とにらめっこしていた。自分が好きなことをしていて好きなことをやめなさいとは言えないけれど...」
「職場のみんなからリーダーとして期待されているから。音大出でないのにみんなから見込まれてリーダーになったのだから、
 今まで以上に頑張らないと...」
「ぼくはみんながしたいことをしていれば、幸福になれると考えていたのだけれど、それは独りよがりの考え方だった。
 さんざん自分が楽しんでいるという負い目もあるし、しばらくは休みの日の家事はぼくがするよ」
「小川さん、気持ちはわかるけど、毎週土日がカレーかシチューでは飽きてしまうわ...」
「また、そんなことを言って、自分で背負い込もうとする。心配しなくていいよ、すぐに料理のレパートリーを増やすから。
 秋子さんはこれからしばらくは週末の朝はゆっくりしてもらって、疲れを溜め込まないようにしてほしい」
「でも、小川さんは小説も書かないといけないしクラリネットも練習しないといけないし。この前は相川さん、大川さんと
 一緒に日帰りで山登りをするって言っていなかったかしら」
「まあ、それは家族が健康であってこそできることなんだ。ぼくひとりが好きなことをやったらいいということでは
 決してないよ。秋子さんはぼくに遠慮しているんだろうけれど、ぼくも自分の楽しみの追求もほどほどにした方がいいと
 思っていたんだ。お尻に火がついたように楽しみを求めるというのは、目の前に出されたおいしい料理を無理矢理口の中に
 放り込んで行くのと同じように、消化不良になることをわかっていながら十分楽しまないままに食しているのと
 同じだという気がする。あせらないで、ひとつひとつ味わいながら楽しもうと思うんだ」
「でも、相川さんや大川さんはどう言うかしら」
「さあどうだろう、でもふたりとも家族の健康より趣味の方が大事とは言わないと思うよ」