プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生193」

大川の家での夕食を食べ終えた小川は、秋子、桃香を残して、先に家に戻った。 アユミに好き放題に言われても、
何も言い返すことができない自分に腹が立ったからだ。
<家族のためを思って家事をしようと言っているのに、それがいけないと言うのか。平日は会社の仕事を
 していて、休日は今まで通り楽しみたいところなのに、それをガマンして家事をしようと言っているのに。
 あっ、秋子さんと桃香が帰って来たぞ。ふたりは何も言わなかったけれど、このことをどう思っているのだろう>
「お父さん、体調が悪いから家に帰ると言っていたから、もうお布団を敷いて寝ていると思っていたわ」
「いや、大丈夫だよ。それより、お母さんはどうなの」
「どうも、忙しくて昼食を取らなかったのが原因のようだから、心配しないでいいわ。ごちそうをいただいたので、
 大分よくなったみたい。こう見えても私、意外と丈夫なんだから。でも、さっきお父さんが家事を手伝ってくれる
 と言っていたから、お掃除と日曜日の夕食の支度だけでもお願いしようかしら」
「たったそれだけでいいのかい。ぼくは土日の掃除、洗濯、風呂の用意、朝昼晩のごはんの支度、後片付けなんか
 全部をするつもりで...」
「まさか、そんなことを毎週していたらそれこそ、会社で居眠りばかりすることになるわ。土日のごはんのおかずを
 何にしようと考えて会社で10分ほど物思いに耽ったりして...。休日はゆっくり休んで英気を養うようにしなくちゃ。
 その一環として、趣味を楽しむのは大いに結構、音楽も、小説も、山登りもどうぞお好きなだけ楽しんで下さい。
 でも家事を助けてもらえるなら、お言葉に甘えることにするわ」
「ねえねえ、おとうさんは私は何もできないと思っているようだけど、お風呂やトイレの掃除はおかあさんより
 早くて上手なのよ。お使いにはしょっちゅう行っているし。今度は掃除機の使い方を教えてもらおうかな」
「ありがとう。桃香は洗濯や料理は難しいけれど、他のことならできるだろうから頼むわね。お父さんが、
 自分で休日の家事を全部しますと言ってくれるのは有難いんだけれど、みんなで分かち合えばなんとかなるわ。
 お父さんは今まで通りに大川さん、相川さんとのおつき合いを楽しむといいと思うの。それからさっき、話を
 聞いていたら、お父さん、小説を書くのが大きな重荷になっているような気がしたの。そこで提案なんだけど、
 この前に購入したディケンズ先生の「ドンビー父子」を読んでみてはどうかしら、よい文学作品は創作意欲を
 喚起するというから、名著を楽しんで読んでいたらその副産物としてよい発想が生まれるかもしれないわよ。
 2日に一度、30分早く起きて以前行っていた喫茶店に行くのがいいかもしれないわ」
「そうだね。でも、山登りはどうしよう」
「お父さん、桃香も高尾山には遠足で行ったことがあるけれど、ゆっくり登ればダイジョウブよ」
「そうか、それなら相川さん、大川さんとの会話を楽しみながら登るとするか」

小川は書斎に行くと、すぐに布団を敷いて横になった。安心感からかすぐに眠りにつくことができた。
「おや、今日はふたりお揃いですか」
「そうさ、秋子さんもああ言ってくれたのだし、明日は少し早く出掛けて、いつもの喫茶店で「ドンビー父子」を
 読みなさい。そうすれば、私のように後世に残るような作品が書けるから」
「先生、大学時代に読んでから一度も手にしていない「ピクウィック・クラブ」も小川さんに読むように言って下さい」
「確かにそうだ。小川君、1時間早く行って、「ドンビー父子」と「ピクウィック・クラブ」を30分ずつ読みなさい」
「......」
「これは失礼。「ドンビー父子」をじっくり楽しんでくれたまえ」