プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生197」

小川、大川、相川の3人が見晴らしの良い場所に新聞紙を敷いて座るとすぐに、大川が自家製の
おにぎりをリュックから取り出し、どうぞと言って小川と相川に手渡した。
「やあ、これはおいしそうだ。さっそくいただきましょう」
「でも、ゆっくり食べていて下さい。今からお湯を沸かしてみそ汁をつくりますから」
「登山用のコンロもお持ちなんですか。準備がいいですね」
「ええもちろん、それから木製のお椀とお箸も持って来ていますよ」
「それでは大川さん、ゆっくり味わっていただくことにします。ところで相川さん、ぼくの小説のことですが...」
「ああ、それなら小川さんが好きな時に原稿用紙に書いて送ってもらったら、次の集まりの時に少し
 アドバイスをさせていただこうと思っています」
「そうですね、お願いします。相川さんの指示通りにさせていただこうと思っていますが、その内容や
 結末についてどうしたらよいか、ご教示いただければと思っているんです」
「それは前にも言ったように、思いつくまま書いて行ってもいいし、先に結末を考えておいても...」
「どうもうまく言えないなあ。つまりぼくが言いたいのは、まず結末が決まらなければ、自由な発想で
 書いている最初の部分は本筋と関係のない無駄なもののように思えて来たのです。
 この前、出だしを考えて皆さんに披露したものの、どうしても結末が見えて来ないのです。
 このままずっと書いていて、いつまでたっても結末に至らなかったらどうしようかと思うのです。
 そこでお訊きしたいのは、作家は具体的な結末を最初に用意してそれに向かってストーリを展開し
 まとめて行くのでしょうか」
「なるほど、律儀な小川さんらしい質問ですね。それについては、どちらでもよいとしか言えないですね。
 極端な話、未完の作品にも優れた作品がたくさんあるのをご存知でしょう。漱石の「明暗」、
 ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、スターンの「トリストラム・シャンディ」、音楽の中にも
 未完でありながら、愛されている作品がたくさんあります。では未完なのにそれを読んだり聴いたりするのは
 なぜだと思われますか。大川さん、どうですか」
「そうですね、文学作品の場合だったら、結末に至らない途中でなにか楽しいことや恐ろしいことが起って、
 読者が身を乗り出すからじゃないですか。興味を持たせる何かがあるからページをめくるのが楽しい。
 音楽の場合だったら、ある魅力的な旋律が出て来てまたそれが顔を出すのが楽しみというのかな。
 そういうもので小説や音楽が構成されていると考えると最初から結末を考えてしまってうまくまとまらないと
 考えるより、自分の小説はその過程を楽しんでもらえたらそれでよいと考えて魅力的な登場人物を動かす
 方が楽しい作品ができるように思います」
「そのとおり。だから小川さんは今のところ結末を考える必要はまったくありません。現在の主人公の他に
 何人か登場人物を増やし、楽しい会話をさせながら物語を作って行けばいいのです。そしてこれで結末に
 しようと思ったら、じっくりとそれに向かって物語をまとめていけばいいんですよ」
「さあ、みそ汁ができました。それからもうひとつおにぎりを差し上げましょう。ぼくも音大で勉強したので
 少し作曲もしました。ひとつのすばらしいメロディを思いついてそれを大編成の管弦楽曲にすれば、後世に
 名を残す大作曲家になるかもしれませんが、小曲であっても愛らしいメロディがあればひとびとの胸に感動を
 与えるものになります。だから要は創作意欲が湧いたら、原稿用紙や五線譜に写し出せばいいんですよ」