プチ小説「たこちゃんの気合」

レスリング、ルチャ、リンクカンプというのはレスリングのことだけれど、学生時代にぼくは友達の下宿で
プロレス中継をよく見たんだ。当時はプロレスの全盛時代で新日本プロレスはアントニオ猪木を筆頭に藤波辰爾、
タイガーマスク、坂口征二、お相手(便宜的に善悪を名乗っていたが)として長州力、小林邦昭、ブラックタイガー
がいて、華やかなストーリーのあるプロレスを展開していた。古館一郎さんの実況と山本小鉄さんの解説も実によかった。
藤波辰爾の必殺技と言われるドラゴンスープレックスホールドは見られずに終わったが、抜群の運動神経だからこそできる
リング内を駆け回って繰り出す藤波の技の連続は、タイガーマスクの活躍と共に新日本プロレスの目玉商品だった。
タイガーマスクの技で好きなのは、コーナーポストに相手を投げ、ぐったりしている相手を階段のようにして上り
顔面に軽いキックを入れ、バク転して着地する、サマーソルトキックと言われる技で、それが技のひとつであることが
わかるまで長い時間がかかった。一方、老舗の全日本プロレスはやはりジャイアント馬場のアッパーという言葉と共に
飛び出す、十六文キック、三十二文ロケット砲、ヤシの実割りが随一の見どころで、ジャンボ鶴田や阿修羅原のキックや
パンチは御大と比較すると小振りで藤波辰爾のようにスピードと技でぼくを楽しませてくれないかなと思ったものだった。
プロレスをエンターテインメントとして見ていたぼくは、度肝を抜くような運動神経だからこそできる技の連続、
自分の方がダメージが大きいのではないかと思われるような高いところからの捨て身技やわけのわからない奇声を発しながら
あまりダメージのなさそうなチョップを繰り出すのを見るのが好きだった。4回生になって友人の下宿でゆっくりテレビを
見られなくなった頃から、ハルク・ホーガンやブルーザ・ブロディのようなパワー中心でその周辺で展開する小技が少なく
なったプロレスに物足りなくなって遠退いてしまい、友人の下宿を訪ねることがなくなるとプロレス中継を見ることもなくなった。
駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は、前からキラー・カンに似ているので親近感を持っているのだが、
たまにふざけて、ヒィーッとか言って客にモンゴリアン・チョップを浴びせたりしないんだろうか。そこにいるからきいてみよう。
「こんにちは」「オウ ブエノスディアス アオラメエンカンタフガールアラルチャリブレ」「やはり鼻田さんもプロレスが
お好きなんですね」「そうやねん。最近、友達から昔のプロレス中継のビデオを貸してもろて、見とるんや」「そうですか。
ところでお好きなレスラーはもちろん...」「船場はん、あんた、わしが戦うモンゴリアン、キラー・カンに似てるから言うて、
好きなレスラーがキラー・カンと思うんは少し浅はかや」「ち、違うのですか」「そんなこと言うとるから、せっかく
ええ本出しても、人に見向きもされへんのや。なんちゅーたかな、あの本」「「こんにちは、ディケンズ先生」船場弘章著 
近代文藝社刊のことですか」「そうそう、それやがな。それをようけ売ろうと思うねんやったら、気合を入れんとあかんのや」
「ま、まるで、アニマル浜口のようなことを言いますね」「おっ、ええところに気が付いたな。実は、わしはなあ国際プロレスの
ファンでラッシャー木村やアニマル浜口が好きやったんや」「で、気合を入れると言われましたが、どうしてされるのですか。
また準備体操と称して、うさぎ跳びやリアカーごっこをしようというのではないでしょうね」「な、なんでわかるねん。
うさぎ跳びでわしのタクシーのまわりを20回回ったら、気合入れたろうと思っとったのに...。こうなったら、
これ以上先手を打たれんように、ヒィーッて言うてモンゴリアン・チョップと思たら大間違いや」「じゃあ、アッパーと
言いながら空手チョップ水平打ちですか、ああ、鼻田さん何をするんですか。ぼくを電柱に投げつけて」「ちょっと待ってや。
今からタイガーマスクのサマーソルトキックをやるからな」「えーーーーっ。でも、たのしみだな。早くしてほしいな。
鼻田さん、早くして下さい」「ちょっと待ってや」「早くして下さい」「ちょっと待ってや」「早く...」「ちょっと...。
ちょうどええところにお客さんが来はったから、また今度にしよ。ほんま、あんたええ時に来てくれたわ」
そう言って、別の客を乗せて行ってしまったんだ。ぶつぶつぶつ...。