プチ小説「耳に馴染んだ懐かしい音6」

二郎は森下さんのおばちゃんに、今年も京都文化博物館で発表会があるから来てねと言われていた。阪急烏丸駅に着くとすぐに
二郎は冬場の午後の澄んだ陽射しの中、三条通にある会場へと向かった。
<昨年は別の会場だったけれど、ぼくは文化博物館が好きだな。ホールと違った独特な響きがあるし、何より外から陽射しが
 差し込むと明るい気分になる。ここのところ寒い日が続いているが、お日様はお天気の日には変わりなく暖かい陽射しを
 送ってくれる。あのれんが造りの建物だったな。入るとしよう>
二郎が受付でもらったプログラムを見ていると、横にあるカーペットが敷かれた格調高い階段を森下さんのおばちゃんが
下りて来た。森下さんのおばちゃんは顔を強ばらせて話し出した。
「ああ、二郎君、来てくれたのね。今からチューニングルームに入るところなの。でも、困ったわ...」
「どうしたんですか」
「今日、朝から、みっちり練習して来たので演奏の方は大丈夫なんだけど、演奏後のインタヴューを代表して受けてと
 言われたのよ。もともと人前で話すことが苦手で...。ねえ、どうしたらいいと思う」
「それじゃー、逆にどう言う時におばちゃんは緊張しますか。前の2回の演奏会を思い出して下さい」
「そうねー、最初の時は1曲目を無我夢中で演奏したので緊張感はなかったけれど、2曲目が始まる前にお客さんが目に入って
 たちまち緊張したんだったわ。昨年はホールで演奏したけれど、演奏中と曲の間は場内が暗くて別に緊張しなかったけど
 演奏が終わって場内が明るくなるとだんだん緊張して来た。そうだわ、私はお客さんを意識すると強ばってしまうのね」
「それがわかったなら、話は早いと思います。できるだけ聴衆を意識しないように工夫すればいいんですよ」
「例えば...」
「そうだなー、インタヴューする司会者だけが視野に入るところに立って、道ばたで世間話をしているように受け答えすれば
 いいと思いますよ」
「そうね、それでやってみるわ」

森下さんのおばちゃんのグループの演奏が終わり、司会者がおばちゃんに話し掛けた。
「よかったですよ。ところで練習時間を作るのに苦労されたんじゃないですか」
「いいえ、私たちは同じクラスなので、その点は問題なかったです」
「今回で何回目ですか」
「3回目です」
「それじゃあ、もう常連ですね」
「いえいえ、まだまだ若輩者です。みなさんの足を引っ張ってばかりいます」
「でも今日の演奏、ご自身ではどうでしたか」
「最初はやはり少し緊張しました。指も動きが悪くて困りました。それでもみんなの音を感じているうちにみんなと気持ちが
 ひとつになって素晴らしい演奏ができたと思います。ありがとうございました」

森下さんのおばちゃんは演奏が終わると同じグループの人と2階にある控え室に上がって行ったが、しばらくしてさっきと
同じ階段を下りて来た。
「二郎君のおかげで、重責を果たせたわ。いつもありがとう。何かおごろうか」
「残念ながら、このあと用事があるので...。すみません」
「じゃあ、また来年も来てね」
「それは、もちろん、喜んで来させていただきますよ」