プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生201」

祝日で特にしなければならない仕事がなかった小川は、久しぶりに読書で利用するいつもの喫茶店を訪れた。
長い間読めずにいた「ドンビー父子」を100ページほどまとめて読み終えたところで一息ついた。
<でも、この小説の主人公のポール・ドンビーという人は、マーティン・チャズルウィットの主人公、若マーティンの
 ように好きになれない人物だな。独善というか、感じが悪いというか。「ドンビー父子商会」の責任者で資産家の
 ようだが、配偶者であるファニーを息子の出産の際に失っても何も起らなかったかのように平然としている。姉の
 ルイザ・チックやその知り合いのトックス嬢とは仲良くやっているが、他の人とはすべてけんか腰だ。自分の
 娘フローレンスに話し掛けるのも同じだ。そんな幼い少女にとって極めて居心地の悪い家庭環境に居ながら、いたいけな
 フローレンスは健気にも生まれたばかりの弟に精一杯の愛情を注いでいる。そんなドンビー家とまったく対照的に
 描かれているのが、船具商ソロモン・ギルズの店で、その甥のウォルター・ゲイや友人のカトル船長はディケンズ先生の
 小説でよく見掛ける愉快な登場人物だ。ウォルターは「ドンビー父子商会」で働いているのだが、そのおかげで
 フローレンスがスタッグズ・ガーデンズで見知らぬ老婆に連れ去られて窮地に追い込まれた時に救出することができた。
 このふたりは、この物語の中心となる登場人物なのだろう。「リトル・ドリット」「大いなる遺産」「互いの友」は
 登場するカップルの恋愛の行方が大きな楽しみとなったが、この小説でもウォルターとフローレンスがどうなっていくかが
 楽しみだな。楽しみと言えば、ここで居眠りをするのもぼくは楽しみなんだが...。ああ、ちょうどいい時に睡魔が...>

小川が眠りにつくと夢の中にディケンズ先生が現れたが、今日は華奢な愛らしい少女と一緒だった。
「ああ、先生、その少女は、もしかして...」
「まあ、小川さんたら、そんな他人行儀なことを言って...」
「先生、その台詞を先生が言うのはおかしいと思います」
「そうだったな。フローレンス、小川君がああ言っているのだから、君から何か言ってやりたまえ」
「はい。でも、私、男性と話するのは...、おとうさんやウォルターとしか話したことがないから...」
「小川君、フローレンスはああいっているが、もう少しすれば、トゥーツ氏という気のいい青年に熱烈にプロポーズされる
 ようになるから、楽しみにして...」
「先生、私が愛する人はウォルターだけなんですから、そんなことは言わないで下さい」
「ははは、そうだったな。悪かった。ところで小川君、「ドンビー父子」を楽しんでくれているかな」
「まだ、読み始めたばかりなので...。ところで味わい深いと言われる、マックスティンガー夫人はまだ登場しないのでしょうか」
「もうすぐそこだ。そこのところを小川君が読んだら、夢にも登場してもらうとしよう」

小川が自宅に帰ると秋子が、相川から手紙が来ていると言った。早速、小川は手紙を開封した。

 小川 弘士 様
 高尾山に大川さんと3人で行ってから小川さんから便りがなかったので手紙を出そうと思っていたのですが、
 遅くなってしまいました。それに原稿をいただいたので、一度お会いしないといけないですね。
 余り忙しいとばかり言っていてはいけないのですが、今度またイギリスにしばらく行くことになったのです。
 次回お会いすると、少なくとも1年はお会いできないということになりそうです。ですから大川さんと共に3人で
 過ごす時間を提供していただければ、幸いに思います。もし今度の日曜日の午後でもいいよと言っていただければ、
 誠に有難く思いますし永久にそのご好意を忘れることはないでしょう。
                                  相川 隆司

小川は早速大川に連絡し大川の了解を得たので、相川に手紙で了承の旨を伝えた。