プチ小説「青春の光25」

「は、橋本さん、どうされたのですか」
「実は、「こんにちは、ディケンズ先生」を書いた船場弘章君から、朗読会用の台本を聴衆の前で読み上げてほしい
 と言われたんだ」
「でもそうだからと言って、天井から逆さ吊りになって腹筋するのとは繋がりがないように思うんですが」
「それだから素人は困るんだ」
「というと橋本さんは玄人なんですか」
「そんなことをしろうとしたって駄目さ、くろうと隣り合わせなんだから」
「......」
「まあ、詰まりはだな、人から頼まれたら、何事も最悪の場合を考えて仕上げて行かなくてはならないということさ」
「と言いますと...」
「もしかしたら、1万人の聴衆を前にして拡声機なしでやってくれと言われる場合もあるだろ」
「まあ、余りないと思いますが...」
「その場合、頼りになるのは自分の体力だ。そういうことで、こうして普段以上に身体を鍛えているわけさ」
「でも、肝心の台本って、どんなのなんですか」
「ディケンズの小説の選りすぐりの名場面をピックアップして、朗読会で読んでもらえるようにするそうだ。
 中心となる部分は名訳の引用が多くなるが、最初に解説の文を入れて読みやすくする、読みやすい量にするために
 思い切って文章を削ったりするつもりだそうだ。まだ「ミコーバの爆発」という台本しかホームページに掲載していないが、
 少しずつ台本を増やして、ディケンズの小説の面白さ、魅力ある登場人物を知ってもらって、ディケンズのファンを
 増やして行きたいと言っている」
「船場さんは、昨秋の出版とほぼ同時に、ディケンズ・フェロウシップという愛好家の団体に入会されたんでしたね」
「そうなんだ、自分の小説のPRばかりしているのではなく、ディケンズ・フェロウシップのために何か貢献できないかと
 考えて、思いついたのがこのプチ朗読用台本というわけなんだ」
「ぼくは船場さんほど、ディケンズの小説を読んでいるわけではありませんが、いくつか台本にしてほしいところが
 あります」
「田中君が好きなシーンというのはどこなのかな。船場君には、知り合いでこのシーンを是非台本にしてほしいという人が
 いたら、聞いておいてほしいと言われたんだ」
「そうですね、まずは、「大いなる遺産」の...」
「ラストシーンだね」
「いいえ、違います。ピップが命懸けでプロヴィスを逃亡させようとするシーン、テムズ川の光景が眼前に浮かぶようで
 好きなんです。それにプロヴィスとの間に芽生えた奇妙な友情、ピップの改心というのもあるし...。橋本さんはどこが
 お気に入りですか」
「「クリスマス・キャロル」を5分の1くらいの長さにできれば面白いかなと...」
「ディケンズの小説には印象に残るシーンがたくさんありますから、船場さんも楽しんでされることでしょう。それよりも
 橋本さん、朗読というのは体力ばかりではだめです。きちんと台本が読めるようにならなければ、そうだ!腹筋をして
 身体を起こした時にひとつの段落を読むことにしてはどうでしょうか」
「そんなことはとっくにしているさ。ただここに入ってきた人が台本を上下逆に置き換えたりするから、ひねりをくわえなきゃ
 ならなくなったんで、少し困っているんだ」
「......」